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2010年12月31日 (金)

JPOP名曲徒然草57: 「秘密の森」 by 石川ひとみ

Ishikawahitomi1978年デビューのアイドル歌手で、1981年にユーミンの三木聖子への提供曲「まちぶせ」をカバーしたところ、これが大ヒットでブレイクしました。「秘密の森」や「冬のかもめ」など情緒豊かな曲も歌っていて、清楚な感じだけれど何か秘密がありそうな独特の雰囲気が印象的でした。

肝炎になったり、恋人とドロドロで別れたり、事務所を解雇されたりと実生活は大変だったようです。みーちゃん(西島三重子)ともかなり深いかかわりがあり、7曲も提供してもらっています。「あざやかな微笑み」はかなりヒットしましたが、私は「冬のかもめ」が好きですね。

一度秋葉原の石丸電気でプロモーションビデオらしきものがかかっていて、立ち止まって見ていたのですが、延々と足の爪を切っている映像が続いていて不可思議に感じた思い出があります。あれをセクシーと感じる人がいたのかもしれません。

最近では「まちぶせ」というタイトルからストーカーを思い浮かべる人もいるようですが、まあ冗談も休み休みに言っておくれ。写真はベスト盤「スーパーベスト」 CANYON D32A0240

本年最後の記事となりました。皆様良いお年をお迎えくださいませ。

秘密の森(作詞:岩室先子、作曲・編曲:山田直毅)

https://www.youtube.com/watch?v=Zb2WYEav4A8
https://www.youtube.com/watch?v=TU7kXWRlWvs

冬のかもめ(作詞:康珍化、作曲:西島三重子、編曲:鷺巣詩郎)

https://www.youtube.com/watch?v=7bsBxQ5x708
https://www.youtube.com/watch?v=N_sxfGF_EWA

https://www.youtube.com/watch?v=S-tHcIOH9D0

(西島三重子 self cover)
https://www.youtube.com/watch?v=W8io94vALT8

まちぶせ(作詞・作曲:荒井由実、編曲:松任谷正隆)
https://www.youtube.com/watch?v=BGVi-Pu5zO4
https://www.youtube.com/watch?v=og3-Z3ysjfc
https://www.youtube.com/watch?v=jZTEsRyLMVs

(三木聖子 original)
https://www.youtube.com/watch?v=l_gz-sj2L_M

あざやかな微笑み
https://www.youtube.com/watch?v=_S7nODjPRVE
https://www.youtube.com/watch?v=065oi8kcDRo
https://www.youtube.com/watch?v=xquNhn7uyZE

くるみ割り人形
https://www.youtube.com/watch?v=xP9BCzMp7xM
http://www.youtube.com/watch?v=Kycv5R7m0-o
http://www.youtube.com/watch?v=h83eFDWNcrk
http://www.youtube.com/watch?v=3fvZmwt2O_M

オリーブの栞
https://www.youtube.com/watch?v=RB5yjXDwkRQ
https://www.youtube.com/watch?v=jB9Yo5tUJ54
http://www.youtube.com/watch?v=-ctNbA5A0vI
http://www.youtube.com/watch?v=jB9Yo5tUJ54

右向け右
http://www.youtube.com/watch?v=YObEOZ6yWO0

想い出のセレナーデ
https://www.youtube.com/watch?v=Fc0K2bAUvC8
https://www.youtube.com/watch?v=Mxti4oxahiA

秋の行方
https://www.youtube.com/watch?v=UwMdmimZHSA
https://www.youtube.com/watch?v=GVmc1f-hhgI

モイスチャー
https://www.youtube.com/watch?v=aGRvahxM3I0
http://www.youtube.com/watch?v=n-4ZczDpW2w

肝炎
http://www.youtube.com/watch?v=2o-ZqoWjzZc

公式HP:http://www.fareastcompany.net/hitomi/

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2010年12月28日 (火)

サラとミーナ101: めずらしいツーショット

Img_0187aImg_0192a いよいよ年の瀬もおしつまって参りました。
今日は私も品川まで遠征して、少し忙しい1日でした。
しかし猫たちには何の関係もありません。

めずらしいサラとミーナの2ショットで、持ってきて隣に並べても決してこのようにはおさまらず、すぐに離れてしまう or じゃれ合うか という感じなので、こういう形で安定することはめったにありません。右の方に何か気になるものがあるようです。何かはわかりませんでした。

上から見るとちょっとかわいい感じですが、前から見ると精悍な顔。サラとミーナもこんなまじめな顔をすることもあるのです。蜘蛛でもいたのでしょうか?

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2010年12月26日 (日)

デニソワ人と私たち

1 ミトコンドリアはもともとバクテリアであり、人類の体の中でもある程度の独自性を保持しています。独自のDNAを持つというのも、そのひとつの特徴です。ミトコンドリアは精子にもあるのですが、受精して卵子と一体化したときに、なぜか精子のミトコンドリアはすべて死滅し、卵子のミトコンドリアのみが次の世代に受け継がれます。もちろんミトコンドリアDNAも母親のものだけが次世代に受け継がれることになります。

次に大事な点は私たちのDNAは精子や卵子ができるときに、お互いの一部を交換しあって(組換え)、子孫のバラエティを増やそうとしますが、ミトコンドリアのDNAはそのようなことを行いません。したがってミトコンドリアDNAの変化は突然変異のみによると考えられます。

突然変異は、その発生頻度は経過した年月に比例します。二つの民族間でDNA配列がとてもよく似ているということは、分かれた後に起きた突然変異が少ないと言うことで、より最近にわかれた民族であるということを意味します。逆にあまり似ていない配列は、たくさんの突然変異を蓄積してきたと考えられ、古い時代に分かれた遠い民族であるということになります。

このようにミトコンドリアDNAの違いの多少を調べていくと、いつごろ、どこでミトコンドリアDNAの違いが発生し始めたかが推定できます。1987年にアラン・ウィルソンらは多くの人種のミトコンドリアDNAを解析し、図のように人類のルーツはひとつであることを示しました。しかもアフリカ人には大きなバラエティーがあるが、非アフリカ人にはほとんどバラエティーがないという結論に達しました。これは人類の祖先がアフリカにあり、非アフリカ人は一部のアフリカ人から派生した人々であることを示唆します。アフリカとその他の世界はエジプトとシナイ半島のみでつながっており、ここから外に出て行った一部のアフリカ人たちが私たちの祖先というわけです。

本題に入る前にひとつ注意すべきことは、ミトコンドリア・イヴという言葉が非常に誤解を招きやすい言葉であるということです。イヴというと私たち人類すべてが一人の母親から生まれたと連想しがちですが、イヴという人が生きていた時代にも多くの女性が生きていたはずで。ただイヴ以外の女性の子孫はどこかで男の子だけを産んだか、あるいは子供がなかったという理由で、現在までミトコンドリアが受け継がれなかったということなのです。逆に言えばイヴという母の子孫の女性は20万年間ずっと女の子を少なくともひとり産み続けたということです。そういう家系をモデルとして学説を構築したともいえます。

以前にネアンデルタール人が現代人と混血したと考えられることについては以前にブログに記述しました。
http://morph.way-nifty.com/grey/2010/05/post-1d7d.html

今年の暮れに発表された論文 Nature 468, 1053-1060 (2010) で Reich 博士らはシベリアの洞窟でみつかったデニソワ人少女の指の骨のDNAを解析し、80万年前にネアンデルタール人+デニソワ人のグループが現生人類(ホモ・サピエンス)と分かれ、その後ネアンデルタール人とデニソワ人が分離したとしています。この3種の人類はすべてホモ属に分類されています。

彼らはフランス人のゲノムを調べ、フランス人はネアンデルタール人とかなりの類似性がみられ、一方アフリカ人とネアンデルタール人には類似性がほとんどみられないことから、フランス人は昔ネアンデルタール人と混血したとしています。デニソワ人とフランス人にも多少の類似性はありますが、ネアンデルタール人にははるかに及びません。ところがデニソワ人のゲノムは、ニューギニア東方の島々に住むメラネシア人のゲノムと類似性があり、それはフランス人とネアンデルタール人の類似性よりも大きいということがわかりました。これはメラネシア人が過去にデニソワ人と交配したことを意味しています(デニソワ人からメラネシア人が発生したわけではありません)。

さて私たち日本人のゲノムには、どのくらいネアンデルタール人やデニソワ人、そしてひょっとしたらフローレス人などの遺伝子が刻印されているのでしょうか?

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2010年12月25日 (土)

JPOP名曲徒然草56:「メリー・クリスマス」 by 南野陽子

069merrychristmas1sクリスマスです。朝車に乗ったら、カーナビが「メリー・クリスマス」と話しかけてくれました。多くのクリスマスソングがある中で、南野陽子の「メリー・クリスマス」はあまり知られていませんが、忘れがたい名曲のひとつです。

この楽曲は1988(昭和63)年12月14日に発売された、南野陽子さん12枚目のアルバム『スノーフレイクス (SNOWFLAKES)』と1989(平成元)年12月1日に発売された 14番目のアルバム『ディアー・クリスマス(Dear Christmas)』に収録された楽曲です。作詞が康珍化さん、作曲が平野牧さんによる作品です。

https://www.youtube.com/watch?v=RtdYwB7EAR0

(cover)
https://www.youtube.com/watch?v=u6EdONTWP8k

アイドルに歌わせる歌詞としては、康珍化は思い切ったものを書いたものです。・・・クリスマス・イヴのパーティーに急ぐ途中で、偶然街のスクリーンに写った餓死しそうな子供達が目に入る。そして「神様は本当に生まれる命をみんな同じように創られたのかしら♪」・・・という神に対する疑念が歌われます。クリスマス・イヴにです。曲(メロディー)も素晴らしいものです。南野陽子はとても楽曲にはめぐまれていました。でもこの歌詞は歌い手が南野陽子だからこそのものでしょう。多分彼女が歌った唯一のメッセージソングだと思いますが、心に残る曲です。CD「スノーフレイクス」はアマゾンなどで1円で売っています。

私がこの曲を知ったのは 「Affairs of Yesterday」(Sony music entertainment, SRCL 2427) というベストアルバムに収録されていたものを聴いたときでした。この中には、私の故郷の神戸の雰囲気がとてもよく感じられる「春景色」や、隠れたスキーソングの名曲「リフトの下で逢いましょう」なども収録されています。

「春景色」

https://www.youtube.com/watch?v=sN8NGzuxph0
https://www.youtube.com/watch?v=M8WnCt1GRro
https://www.youtube.com/watch?v=WaRhO8l4uLc

「私の中のバージニア」

https://www.youtube.com/watch?v=hXtqGVNSj-I

「リフトの下であいましょう」

https://www.youtube.com/watch?v=kqAQhAATPCE

http://www.youtube.com/watch?v=YCoVKsZSAys
http://v.youku.com/v_show/id_XMjc4MDUyODQ0.html
http://www.youtube.com/watch?v=tyekZwT7Uag (カラオケ)

「さよなら夏のリセ」

https://www.youtube.com/watch?v=Zq0oljo6efc
https://www.youtube.com/watch?v=m-_ZGHM4kTI
http://www.youtube.com/watch?v=-31GE7-FeHU (カラオケ)

「秋の indication」

https://www.youtube.com/watch?v=ShcwudDhY6E
https://www.youtube.com/watch?v=a8_481ZoS50

「瞳の中の未来」

https://www.youtube.com/watch?v=XvoVuFJRPHo
https://www.youtube.com/watch?v=783hPWMFVxg
https://www.youtube.com/watch?v=kDCbgi3IC9I

http://www.youtube.com/watch?v=4W0LC5kUpSo (with English)

「フィルムの向うがわ」

https://www.youtube.com/watch?v=XcBfp7d3o-o

https://www.youtube.com/watch?v=gLAaQ2E1Be4 
http://www.youtube.com/watch?v=4yvjz0Jpm_U (カラオケ)

「あなたを愛したい」

https://www.youtube.com/watch?v=zg_k_SXu4qE
https://www.youtube.com/watch?v=D0tpVaDaxvo
https://www.youtube.com/watch?v=vpxtchNbC-Q

「カナリア」 (秋の indication の別バージョン)

https://www.youtube.com/watch?v=Lv-adD2oMes

「さよならのめまい」

https://www.youtube.com/watch?v=HMoRLT0QT90
https://www.youtube.com/watch?v=PsxVYnPY_ck
https://www.youtube.com/watch?v=WWqL5XyTwxI

「話しかけたかった」

https://www.youtube.com/watch?v=7wuU4aPNsas
https://www.youtube.com/watch?v=OLDzgoAZG_I

「秋からもそばにいて」

https://www.youtube.com/watch?v=GIF50NwY8lU
https://www.youtube.com/watch?v=zvpRMj5JMRI

「星降る夜のシンフォニー」

(cover)
https://www.youtube.com/watch?v=CWqcCtXWWcs

(カラオケ)
https://www.youtube.com/watch?v=44GoHurdkKE

(インスト)
https://www.youtube.com/watch?v=fuQGapky0kE

「風のマドリガル」

https://www.youtube.com/watch?v=d3p9vaisBvs
https://www.youtube.com/watch?v=85cbI400vGc
https://www.youtube.com/watch?v=M6JYL14kba4

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ショパンの足跡

BS日テレ開局10周年特別番組「松下奈緒 ショパン、私の恋人」
番組のホームページ↓
http://www.bs4.jp/nao_chopin/outline.html

久しぶりにどっぷりのめり込める番組でした。ショパンの足跡をたどり、松下奈緒さんの案内でマヨルカ島・ノアン・パリを旅するという趣向です。風の家や修道院が残っていて、きちんと解説してくれたので、当時の雰囲気が彷彿としてきてかなり感動しました。

結核ということで村人からも敬遠・迫害され、現在のような暖房完備ではないので環境も悪くて、ショパンの落ち込んだ様子が忍ばれます。サンドは都会でのバッシングとか、人付き合いの煩わしさから逃れて、ゆっくり療養させようとマヨルカに連れてきたのでしょうが、全くあてがはずれてしまったわけです。

番組後半のノアン(サンドの実家)の環境の素晴らしさを思うと、なぜサンドがマヨルカを選んだのかは最後まで理解できませんでした。番組でもこのあたりをもっと探って欲しかったと思います。

ただマヨルカ滞在中に「24のプレリュード」という素晴らしい傑作が誕生したのは不幸中の幸いでした。最初からノアンに行っていたら、この作品はきっと生まれなかったでしょう。この作品の持つ孤独感、寂寥感、その裏返しとしてのときどき感じられる暖かさや情熱は永遠です。

T 私の愛聴盤はエルフルン・ガブリエルが演奏したシャルプラッテンTKCC-15141です(写真)。マヨルカでの孤立した精神状況がひしひしと感じられる、ひんやりとした暗い雰囲気、不安定な精神、カラ元気、慰めの旋律、破綻しそうな結末の表現にいつも共感させられます。ショパンのピアノ曲のなかでは「24のプレリュード」が一番好きですね。

最後になりましたが、松下奈緒さんがピアニストだったことにはびっくりしました。しかも「バラード第3番」を米の飯のように弾いていたのにはさらに驚きました。女優さんとしても活躍されているので、これからどちらの道を選択されるのでしょうか・・・?

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2010年12月21日 (火)

今年のマイベストCD(2010)

3今年もたくさん格安CDを買いましたが、やはりマイNo.1は「インバル指揮都響 マーラー交響曲第3番」エクストン OVCX-00050 です。これは私としては破格の高価な買い物で、2枚組ですが3,800円もします。まあハイブリッドでもあり仕方ないとは思います。このCDは実況録音盤で、私も現場に行って聴いていた演奏の収録なので特別な思い入れもあります。そのときのレポートは↓

http://morph.way-nifty.com/grey/2010/03/by-cb03.html

第3楽章で舞台裏で演奏するポストホルンのながいソロがあるのですが、演奏終了後岡﨑さんがポストホルンを手に持ってバンザイしながら出てきたので、てっきり吹いてたと思っていたのですが、これはフェイクで、実際はコルネットだったそうです。完全に1杯食ってしまいました。

本当は私はインバルよりベルティーニのマーラーが好きなのです。ベルティーニをペリエとすると、インバルはミルクシェイクという感じでしょうか。インバルは独特の節回しがかなり気になりますが、ホーリーな感じさえするベルティーニのマーラーと比べると、世俗的で濃厚なテイストがマーラーらしいともいえるかもしれません。

まあいろいろ不満もあるのですが、それでもNo.1にしたのは都響のすごい演奏です。特にこのCDは実演録音でありながら、完成度が高いと思います。今年同じ曲をコンセルトヘボウが来日して演奏したそうですが(私は聴いていません)、ネット情報では都響の完勝という意見が多いようです。最近はさすがに都響ファンだけでなく評論家さんなども、このスペシャルなオーケストラに気がついてきて、あちこちで絶賛の声が聞こえるようになりました。アリアCDでもこのCDの解説に「世紀の名演」というフレーズが登場しました。これでチケットがとりにくくなると非常に困りますが・・・。

残念なことは、来年度の都響プログラムでは、マーラーは「大地の歌」と「亡き子をしのぶ歌」だけという寂しいラインアップだということです。5番と9番をやって欲しかったですね。

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2010年12月19日 (日)

リーガ第16節: バルサ エスパニョールの最終ラインをスルーパスで突破

Photoバルセロナダービーです。今回は敵地コルネジャでの対戦。エスパニョールは昨年パワーストライカーのオスバルドをイタリアから補強して、完全に生まれ変わりました。このストライカーの後ろで、おなじみのカジェホン・ベルドゥー・ルイスガルシアがうろうろするので、なかなか強力な攻撃陣です。バルサはFW:ビジャ・メッシ・ペドロ、中盤:イニエスタ・チャビ、底:ブスケツ、DF:アビダル・ピケ・プヨール・ダニ、GK:バルデス。エスパニョールは高い最終ラインで、厳しく絡んで来ます。まあこれでオフサイドトラップが上手だと大いにてこずりそうです。

いつもは一触即発の厳しい雰囲気のダービーですが、イニエスタがワールドカップファイナルで、ゴールを友人のハルケに捧げたことで、イニエスタには満員のスタンドから拍手。多少はなごんだ雰囲気で試合がはじまりました。とはいってもどんどんものは飛んでくる状況には変わりありません。ケガするものじゃないので、当たっても平気で試合は続行です。

さて開始早々、早速オスバルドにシュートを見舞われますが、バルサもブスケツのオーバーヘッドで逆襲。しかしまたオスバルドにスルーパスが通って危ない場面。これはオフサイドトラップで切り抜けます。激しいサッカーです。10分にはダニが1:1になりますが、なぜか遠慮深くメッシにパス。予想外のメッシはシュートミス。

18分にはピッチのど真ん中でペドロ→メッシ→ペドロのワンツーでペドロが抜け出し独走。ドリブルシュートをたたきこみました。さらに30分にはゴール前で、メッシが右のチャビにパス。これはオフサイドのはずが、エスパニョールののDFが帰りそこないます。チャビが中央にもどしますがはねかえり、今度は角度のないところからチャビが低く押さえ込んだシュートを決めました。メディアプンタ(トップ下)としてのメッシの技術がさえわたります。ピチーチ(得点王)など無理にめざさず、このポジションで自然にやってくれることがバルサにとって重要です。

私は3人のFWの後ろでイニエスタが司令塔として動くのがベストだと思っていましたが、ペップは特別な意図を持ってメッシを司令塔に指名しました。そのことによって、メッシはそれまでのようにひたすらゴールに向かって突進する姿勢が改められ、自然にペドロやビジャを使おうとする頭に切り替わっていったわけです。ペップという男の頭の良さには敬服します。ただしこのシステムによって、イニエスタは大変難しい役割になりました。ここが自分のポジションで、これが自分の役割だという指針がなく、その場面ごとに自分の果たすべき最善の役割を判断して自由に動くということになりました。

脱線したので元に戻りますが、35分にバルサは大ピンチに見舞われます。カジェホンがスルーパスを受けて、中央でGKと1:1。しかしライナーのシュートをバルデスが指先ではじいてきわどく失点を免れます。前半は2:0で終了しましたが、バルサのポゼッションは60%を切っていました。いかにエスパニョールが頑張ったかがわかります。

60分にはメッシが中央からミドルを打ち、GKカメニがはじくところにペドロが激しく突入して押し込みました。しかし63分にはオスバルドに走られ、グラウンダーの見事なドリブルシュートを打たれて失点。3:1となります。ここからビジャの出番です。76分にはメッシからビジャにスルーパスが決まり。ビジャが左から中央寄りに抜け出してドリブルシュートをGKの脇を抜いてゴールにたたきこみます。84分にはまたDFの裏に走り込むビジャにチャビからスルーパスが通って5点目のゴール。めでたしめでたしでした。今日は圧勝でしたが、エスパニョールはもう少しラインコントロールにたけてきたら、非常に難しい相手になると感じました。

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2010年12月18日 (土)

カセットテープをデジタル化

永年昔のカセットテープをどうしようかと悩んでいましたが、ついにデジタル化しようと決断しました。さてどんな機器でやるかですが、下記(1)のUSBカセットプレーヤー(写真)を使うことにしました。5000円くらいなので高価ではありません。

Aaaa

しかし付属のソフト「EZ Vinyl Tape Converter」(下記2)がくせ者でした。まずビニルテープという名前が納得いきません。ソフトを起動するとまずLPかテープかを選ぶ画面が出てきますが(テープコンバータという名前にもかかわらず!)、どちらをクリックしてもチェックボックスにチェックははいりません(???)。試しているうちに、うっすらと色がつく方がOFFで、無色の方がONだということに気がつきました。で、テープをチェックすると、ノーマルかクロームかを選ぶ画面がでてきます。これはグレーアウトしている方がONです(爆)。全く何というソフトなんでしょう。これで設定は終了。あとはスタートしてカセットのプレイボタンを押し込めばOKです。

Bbbb

写真のようなシンプルな画面が出てきて進行。進行のスピードはx1のリアルタイムです。終わりのメッセージが出たらネクストボタンを押します。取り込んだデータに名前を記入して次に進むと自動的に iTunes が起動し、データが変換されて取り込まれます。曲間はきちんと認識するようです。このソフトは iTunes と連携しているので、基本的には iPod で聴くためのソフトのようです。

1)USBカセットプレーヤー

http://www.comeon.jp/shop/rec_deck/ion.htm

2)ソフトウェアダウンロード
http://www.ionaudio.com/ezvc

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2010年12月15日 (水)

サラとミーナ100: 100に到達も平穏な毎日が一番

猫たちはベランダに出て外を眺めるのが好きです。ただベランダに出すと植物を食べて吐くので困ります。

Img_0134t

Img_0135t

ミーナは何かにもたれて眠るのが好きですが、ソファの手すりはちょっと高すぎました。

Img_0154t

変な顔を撮影してしまったので、最後にちゃんとした顔を一枚。

Img_0155t

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2010年12月13日 (月)

リーガ第15節: 絶好調バルサ ソシエダに何もさせず完勝

Photo突然の列車・バス移動でも、Bチームでも勝ってしまうバルサ。いったいどうなっているんだろうと思いますが、ともかく好調であることには違いありません。故障者が少ないのは、選手の体調を計りながらうまく休ませてまわしているのが功を奏しているのでしょう。2~3年前には選手が明らかに疲労していて動きが鈍いことがよくありましたが、最近はほとんどそんな試合はありません。

今日はカンプノウでレアル・ソシエダとの対戦。FW:ビジャ・メッシ・ペドロ、中盤:イニエスタ・チャビ、底:マスチェラーノ、DF:マクスウェル・アビダル・プヨール・ダニ、GK:バルデス。ソシエダは4141の非常にきれいなフォーメーション。トップはジョセバ・ジョレンテです。

ソシエダは中央重視の守備で、わりとサイドはスカスカになることが多い感じでした。8分密集守備の中央から少しはずれた右にペドロが突入し、グラウンダーの高速センタリングがビジャにピッタリ合ってまず1点。守備が固められていた割には早めに先取点がとれました。29分には6人の最終ラインを完璧に突破したのですが、ダニが最後の仕上げを決め損なって得点ならず。しかし終わってみれば、これもご愛敬でした。

32分には密集守備をイニエスタ→ペドロ(ノールック)→イニエスタのワンツーで突破し、イニエスタが狭いニアサイドをぶち破ってゴール。ソシエダはほとんどチャンスもないまま前半終了。

後半も開始早々、ダニとメッシが3回のワンツーでディフェンスを突破。最後はメッシがゴールにパスして3点目。バルサは早々とマスチェラーノ→ブスケツ、ペドロ→ボヤン、チャビ→ケイタの選手交代でミニローテーションです。このような細かい配慮が、今シーズンの特徴的な選手起用です。

87分にはメッシの一人舞台。ゴールエリアを右から左にゴールラインに平行に疾走し、すきまをさがしながら結局DFの端点まで走りきり、鋭角にゴール右隅にシュートして4点目。タイムアップ間際にはボヤンがカウンターで疾走し、フリーのビジャを無視して自分でゴール。まあ彼も生活かかっているのでよしとしましょう。

野口さんがバルサは3バックにすべきだなどと言いたそうでしたが、そんな必要性は全く感じませんね。ダニが元気であるかぎり、実質3バックみたいなものですし、彼がやりやすいようなフォーメーションでやるべきでしょうね。何しろメッシと二人でDF全員をスルーできるお方ですから。ブラジル代表でもわかるように彼がMFやると何やってるかわかりませんし、3バックの右にすると攻撃の持ち味が消えてしまいます。でもあれだけの技術を持っていながら、4バックの右じゃないとダメというのは不思議な専門職の選手です。

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2010年12月12日 (日)

ボビーとバベット

最近では日本にもないわけじゃないが、欧州には昔からサバティカルという制度があり、大学教員などは7年間勤務すると1年間の長期休暇をもらえる。休暇と言っても、大抵の人は海外に留学したりして、何か新しいものを吸収して心身ともにリフレッシュするのに使っている。私は大学院に入学してある研究室に所属したのだが、そこにこのサバティカルを利用して日本に留学しているJさんというフランス人女性がいた。私と同じ研究室1年生というわけだ。さえない理系男子のなかに、金髪のかわいい白人女性がいるとやはり目立つ。オルセイから来たそうだが、研究室の多くのメンバーは「はるばる日本まで、世界的に有名とはいえないこの研究室に留学してきて、わずか1年の期限でいったい何を得て帰るつもりなのだろうか」という疑問を持っていた。

研究室の大方が物見遊山だろうとみるのはやむを得ないことだったかもしれない。しかし癌の研究者である彼女のベンチ(実験台)の前の棚には、しだいに所狭しと発癌剤が並べられるようになり、平均的な日本人女性と同じくらいの小柄で痩せた体をちょこまか動かして、なかなか精力的に実験しているようにみえた。朝もきっちり9時には出勤して仕事をはじめていた。私は彼女にやる気がないとは思えなかった。

彼女のフルネームはスペル Jacinthe Joachim はわかってもどう発音するのかよくわからなかった。研究室のメンバーはみんな、一度はちゃんと発音を聴いているはずの教授も含めてJさんと呼んでいた。彼女と私の居た実験室は、彼女のベンチが一番奥で、その向かいが教授のベンチ。やや広い通路をはさんで私、私の向かいが助手(今で言う助教)という4人部屋の配列だった。

教授は忙しくてほとんど実験室には来なかった。助手はたいてい実験室にいたが、ひっきりなしに学生や院生が実験や相談で出入りするので、私としては正直うるさくて嫌だった。部外者の私が聞くべきでないような話題になったり、私のベンチで卒業研究の学生が実験するときなど、私はよく後ろの教授のベンチを借りて実験していた。

一息つくときには棚越しにJさんが実験しているのが見えた。Jさんは英語が苦手だったが、日本語をしゃべろうとは普段から努力しているようだった。私はフランス語はからっきしだったので、一度ブレーカーが落ちて自家発電になり部屋が薄暗くなったときに、「暗いですね」と声をかけてみた。彼女は私の方を見て微笑みながら「暗い」とひとこと返事をした。でもなかなかそのあとが続かなかった。

彼女にとって不幸だったのは、教授が彼女の提出した研究計画についてまじめにとりあってくれなかったことだった。教授としては、たった1年で立派な成果を上げられる癌の研究テーマなんてあるはずもなく、まあ適当に遊んでもらって、最後に共著の論文に3,4番目あたりに名前を入れてあげて、おみやげをつけてお帰りいただきたい・・・という考えだったのだろう。だんだん彼女の顔が暗くなっていくのが悲しかった。

3ヶ月くらいたつと彼女も諦めたのか、お茶の水のアテネフランセ文化センターなど在日フランス人がたまる場所に出入りして遊び友達をさがすようになっていった。

6月になって、ある雨の日に彼女が番傘を持って研究室に現れた。彼女もやっと日本をエンジョイできるようななったのかと思って、私は少し安堵した。夏が近づく頃には、彼女はすっかり仕事はあきらめたようだった。そのかわり日本語は格段に上達した。しかし私の方は、フランスについて彼女と話せそうなことがみつからなかった。エッフェル塔とナポレオンとエディット・ピアフについて、彼女とどんな話ができるだろう? 相変わらず、なかなか彼女と親しくなれるきっかけがみつからなかった。

そんなある日、Jさんが突然6~7才くらいの女の子を連れて研究室に現れた。名前はバベットと言うらしい。これが実にかわいくおしゃまな子で、しかもまだ来日して4ヶ月くらいしかたっていないのに、片言の日本語をしゃべることができた。私は適当に「僕をボビーと呼んで。ジュマベル ボビー」と言うと、バベットは怪訝な顔をして「うそうそ」と言った。私は「ノン、私はボビー」と強弁した。バベットは私をボビーと呼ばざるを得なくなった。それにしてもJさんが実はママだったとは驚きだった。

それからバベットはしばしばママにくっついて研究室に現れるようになった。Jさんは朝10時頃来て、午後5時くらいには帰宅するようになっていたが、その間ずっと部屋で静かに絵本を読んでいることもあった。そうかと思えば、1時間くらいバベットに「不思議の国のアリス」の話を、片言の日本語をまじえたフランス語できかされたこともあった。意味はよくわからなかったが、私は彼女といると楽しい気分になっていた。テレビで見た「シベールの日曜日」という古い映画をよく思い出した。バベットはこの映画に登場する少女時代のパトリシア・ゴッジに少し似ていた。

http://morph.way-nifty.com/grey/2007/01/post_b633.html

ちょっと怖い質問だったが、お母さんがいないときにバベットに「お父さんはどうしているの」と訊いてみた。いつもは強気なバベットだったが、この時に限ってシクシク泣き出してしまった。しまったと思ったが後の祭りだった。泣き止まないうちにお母さんが帰ってきた。気まずい沈黙の後、Jさんは私をにらみつけバベットの手を引いて出て行った。

もうバベットには会えないと思っていたら、なんと次の日Jさんはまたバベットを連れてきた。Jさんは私に「バベットはボビーに会いたいと言って泣きます」と言って、私にバベットの手をにぎらせた。バベットは下を向くふりをして、一瞬私の方を見てウィンクした。私とバベットにひとつの秘密の空気が流れた。

☆ ☆ ☆

私たちの研究室にはもうひとつ実験室があって、そこには助教授(今で言う准教授)と二人の院生とひとりのオーバードクターがいた。卒研生の何人かもここで研究をしていた。オーバードクターは野口さんと言って、お酒が好きな世捨て人みたいな人だった。しかし何か困ったことがあって相談に行くと、たいてい面倒がらずに相手をしてくれた。

その野口さんがある日「今日は酒をおごってやるからついてこい」とはじめて私を誘ってくれた。野口さんは別の部屋にいたにもかかわらずあちこちうろうろする人で、私たちの部屋にもふらっとやってきてはいろいろ教えてくれたり、冗談を言ったりしてリラックスさせてくれた。私はそんなに酒好きではなかったが、普段から世話になっている先輩のお言葉なので断ることはできない。

二人で御徒町のこじんまりしたスナックに行った。野口さんの行きつけの店のようだった。彼はめずらしく「こんなつまらん研究室にいると、だんだん俺みたいに脳が腐ってくるぞ」などとお説教を垂れたり、大学では絶対にしない研究室の批判をしたりした。私はあいづちを打つわけにもいかないので、黙って彼の話を聞いていた。そうすると教室内の私の知らない人間関係など、有益な情報もたくさん教えてくれた。

しかし彼が話さなかったことが、最も驚愕の人間関係だった。しばらくするとJさんとバベットが入ってきたのだ。野口さんは少しフランス語を話せるようだった。Jさんとバベットを相手に何か話している。

野口さんは私に「ちょっとJさんと席をはずすから、子守りしておいてくれ。マスターには話しておくから」と言って、バベットを置いてJさんと出て行った。マスターが私とバベットをボックス席に案内してくれた。お酒を飲まない私たちがボックスを占拠するかたちになって、私は非常に居心地が悪かったが、ともかくスパゲッティを頼んでバベットの前に置かせた。バベットは少し食べたが、スプーンを置いて「ママン悪いことしてる、私も」と言ったかと思うと、さっと私のグラスをとってグイッとビールを飲み干した。

私は心の中では「あー、まずいことになった、またJさんに睨みつけられる」と思ったが、後の祭りだったので「そうだね、僕らも楽しまなくちゃ」などと、とんでもないことを口走っていた。バベットは私の方のソファーに場所を変えて隣に座り、やがて私のひざで眠り始めた。私はそっと彼女の母親譲りの美しい金髪をなでていた。しばらくするとバベットはこちらに向き直ってウィンクした。そして突然靴を脱いで「私のにおい」と私の鼻先に差し出した。私はついつい臭いを嗅ぐしぐさをすると、バベットは私の顔に靴を思い切り押しつけてきた。私はやっと振り払うと「バベット おまえは大人になってもいい女にはなれないな」と言ってやった。バベットは突然「野口さん偉くならない。ボビーはどう」とわけのわからないことを叫んだ。私はあわてて「そんなこと言っちゃダメだよ」と腕を×にしてたしなめた。バベットはフンと鼻をならした。

2時間くらい経過して、野口さんとJさんが帰ってきた。Jさんとバベットが出て行ったあと、野口さんが「Jさんはバベットの父親と離婚して、心機一転のつもりで日本に来たんだけど、なかなか思い通りにはいかないもんだねえ」と教えてくれた。その日は自分の人生でも一番酒を飲んだ日になってしまった。朝になって気がついたら、野口さんの下宿のベッドの上だった。野口さんがコーヒー豆をひいて、ドリップで抽出し、今までに経験したことがないような香り高くうまいコーヒーを飲ませてくれた。それにしても野口さんはどこで寝たのだろう。多分床の上に毛布でも敷いて仮眠していたのだろう。野口さんはいい人だった。でもきっとJさんを日本に引き留めて、バベットの父親になるようなピリッとしたところはないのだろう。バベットもそのことに気がついていたのかもしれない。

☆ ☆ ☆

暮れになって、私たちの研究室でも忘年会をやることになった。研究室1年生の私が幹事をやることに決まった。スタッフと院生+Jさん+秘書さんで9人だったが、卒業研究の学生や共同研究者も参加するので、全体では20人くらいの大宴会になる。私は上野のしゃぶしゃぶの店に席を用意した。

さすがにJさんもここにはバベットを連れてこなかった。酒がはいったところで野口さんが「みんな1曲づつ歌え」と命令を下した。野口さんは自分の業績はなかったが、面倒見が良くて、実験のやり方などで困ったときにはみんな世話になっているので、誰も彼の命令にさからうことはできなかった。教授も十八番の「ちゃんちきおけさ」を歌って、一同茶碗をたたいたりして大いに盛り上がった。

そしてJさんに順番が回ってきた。私は彼女にフランス語で歌って欲しかった。生でフランス語の歌を聴いたことがなかったので、一度聴いてみたかったのだ。そうシルビー・バルタンか、マージョリー・ノエルあたりがいいなと思っていたところ、彼女はやおら立ち上がって、なんと「枯葉」を熱唱しはじめたのだ。一気に座がしらけはじめた。台詞が始まる頃には、歌など無視しておしゃべりに熱中するするグループと、ハラハラしながら耳を傾けるグループに分かれた。さすがにJさんも場の雰囲気を察知したのか、突然歌うのをやめて泣き始めた。みんな凍りついてしまった。すごく長い時間を感じたが、多分30秒くらいたったときに、野口さんが立ち上がって彼女をかかえて階段を下りていった。そして忘年会はおひらきになった。

お正月明けまでJさんは大学に出てこなかった。1月7日になってやっと出てきた時にはさっぱりとしたにこやかな顔だったので、私はほっと胸をなでおろした。バベットはまじめにインターナショナルスクールに通っているらしく、研究室には顔を出さなくなった。冬の大学はとても忙しく、あっという間に時は過ぎ去っていく。Jさんもしめくくりに研究発表をすることになり忙しくなった。3月はじめに内輪での発表会が開催された。彼女の研究発表はいつもの私たちの発表会とは少し趣を異にしたものだった。

まだ日本語での発表は無理だったので一生懸命英語で発表するのだが、発音が完璧にフランス流だったのですごく違和感があった。例えば実験 experimentation はエクスペリマンタシオンと発音する。しかし馴れれば意外にもネイティヴの英語よりはむしろわかりやすかった。もうひとつはただの折れ線グラフや棒グラフまでカラーのスライドで発表したことだった。当時このようなスライドはモノクロかせいぜい背景をブルーにするぐらいが普通だったので、彼女のスライドはとてもおしゃれに見えた。色を出すために、着色セロファンをはさみで切り抜いて貼り付けていたようだった。もちろん今の時代はパワーポイントで発表するのが当たり前なので、カラーを使わない発表なんてほとんどあり得ないことになってしまったが。

Jさんたちとお別れする最後の日がやってきて、会議室でお茶会をやることになった。久しぶりにバベットもやってきた。私はバベットに「今日でお別れだね。バベット泣く?」と訊いてみた。バベットは人差し指を立ててふりなかがら「ちっちっち」と言ってウィンクした。しばらく見ないうちに日本式のジェスチャーまで身につけるとは・・・。でもバベットらしくて安心した。

会がお開きになり、いよいよお別れと言うときに、バベットは私に一通の封筒をくれた。そして私に向かって「ボビー 偉くなってね」と生意気にも激励してくれた。私はバベットの手を強く握って「かもね」と言った。そして部屋を出て行くときJさんが振り向いて、はじめて私に微笑みながらウィンクしてくれた。なんだか私ははじめて彼女が大人として私に接してくれたような気がして嬉しかった。アパートに帰って封筒を開けると、1枚の便せんの中央に小さなハートのマークが描いてあり、下にカタカナで エリザベート(バベット)・ジョアシャン と署名があった。

☆  ☆  ☆

4月になると、東北地方の大学に研究補助員の仕事があるというので野口さんが出て行った。Jさんもバベットも野口さんもいない研究室は、私にとっては廃墟のようだった。すっかりテンションも落ちて、ただただ下宿と研究室を機械的に往復して研究を続けていた。

1年くらいたって、ひょっこり野口さんが現れた。助手になることができたそうで、教授に報告するために来たとのことだ。帰り際に彼は私の肩を抱いて、また御徒町のスナックに行こうと言った。春日通りを御徒町の方に歩いていく途中で、私が「バベットが大人になったら、またJさんとバベットと野口さんと僕の4人で飲みたいですね」と言うと、野口さんはうつむいて「それがなあ・・・。Jさんは先月亡くなったんだ。オルセイの研究所の知り合いから手紙をもらったんだが、膀胱癌が転移していて手遅れだったそうだ。」

私はショックで「えー」と言ったきり言葉が出てこなかった。湯島ハイタウンのバス停近くに座り込んでしばらく動けなかった。「でバベットはどうしているんですか?」「ブルターニュの叔母の家に行ったそうだ」「・・・・・」。

結局御徒町のスナックには行かずに、JR御徒町駅で野口さんと別れた。私は山手線に乗って3周くらい周回した。やっと電車を降りて、暗い夜道を歩きながら、私は「学位をとったら、きっとブルターニュに行ってバベットに会おう」と心の中で繰り返していた。

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2010年12月11日 (土)

UEFAチャンピオンズリーグ予選: バルサBチームでルビンを葬る

Photoバルサにとっては消化ゲームとなったチャンピオンズリーグのルビン・カザン戦。カンプノウもさすがに満員とはいきませんが、思ったより人ははいっています。今日のスタメンはかなり2軍に近い感じです。FW:アドリアーノ・ジェフレン・ボヤン、中盤:マクスウェル・チアゴ・ジョナタン、底:マスチェラーノ、DF:フォンタス・ブスケツ・ピケ、GK:ピント。いつものバルサとは人もシステムも全く異なる別のチームです。

ルビン・カザンは2年連続でロシアリーグを制し、今シーズンも現在3位の強豪チーム。昨年バルサはカンプノウでこのチームに敗れています。試合が始まってみると、バルサの選手は全く足が動いていません。球をもっている選手以外の選手がみんな「カカシ」みたいに動かないので、さっぱり生きたパスができず、ただただなんとか球をキープしているという状態が続きます。個人のキープ力とバックパスだけでポゼッションしている感じで、これではチャンスは作れません。思うにここでいいところを見せないと、出るチャンスが巡ってこないという変な緊張感が動きを堅くしていたのかもしれません。

これに輪をかけてひどいのがルビン。この2軍を相手にカウンター狙いに徹している感じで、数珠をもつ Kurban Berdyev 監督だけが目立っています。バルサの変な緊張感が伝染したのかもしれません。バルサがルビンの選手にパスを出すという失態も何度かありましたが、ルビンは得点できません。どうしてなのか、彼らにとっては決して消化試合ではないのに、あまり気迫が感じられません。今期最悪の低調な試合。

そんななかではじまったばかりの12分にジェフレンが故障。多分肉離れでしょう。クラシコで得点したばかりなのに、好事魔多しとはこのことか・・・バスケスと交代。さらに32分にはボヤンがヒジ打ちにあって昏倒。鼻骨骨折か歯が折れたか??・・・で交代。代わって出てきたのはDFのバルトラ。これでマクスウェル・フォンタス・ピケ・バルトラの4バックになってブスケツが前に出たので、怪我の功名で少し流れが良くなりました。しかし得点はならずハーフタイム。

後半になってペップにヤキを入れられたのか、前半のプレーでチームがなごんできたのか、少しですがパスの受け手が動き始めました。そのうち後半5分にゴール前のごちゃごちゃの中でチアゴがフォンタスにパスを出し、センターバックのフォンタスが相手DFに当てて(ハンド気味)ゴール。チアゴは実力のある選手ですが、プレースタイルが完全にトップ下タイプなのでチャビの代わりはできませんし、今はメッシがトップ下をやっているのでかぶります。どう使うのかが難しい。メッシかイニエスタが休むときに出すしかないでしょうね。この試合ではジョナタンを引っ込めてメッシを交代出場させました。

82分にはアドリアーノからバスケスにスルーパスが通り、バスケスが慎重に狙ってゴールを勝ち取りました。ボヤンとジェフレンが故障してしまったので、彼らの故障が長引けば、国王杯などでバスケスにも出番があるかもしれません。このあとカンプノウではペットショップボーイズの「ゴーウェスト」の大合唱。ウェンブリーに行くぞという意味なのでしょう。あのクラシコで全力を出し切ったバルサなので、今日はそこそこ休めてよかったなという試合でした。

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2010年12月10日 (金)

田部京子ピアノリサイタル@浜離宮朝日ホール

Shuman

昨日は6→11の長い1日でした。しめくくりは浜離宮朝日ホール。2007年から始まった田部京子氏のシューマンプラスシリーズの最終回です。シューマンの主なピアノ作品すべてを演奏するという壮大な試みの最後は「森の情景」と「ピアノソナタ第1番」。前から3列目の中央だったので、ピアノと近すぎてベストな席ではありませんでしたが、スタインウェイという猛獣が襲いかかってくるような迫力に圧倒されました。

いつものように彼女のピアノはフォルテッシモからピアニッシモまで格調高く、かつロマンティシズムが横溢した素晴らしい演奏で、シューマンの深い情緒から激しい情熱まで満喫できました。しかしそれよりもさらにすごかったのがショパンの「ピアノソナタ第2番」。言葉にならないくらいの強烈な牽引力で、たっぷりとこの激しい音楽(第1・第2楽章)を楽しませてもらいました。さらにこのソナタの核である葬送行進曲はゆったりと、しかしゆるぎない構成感で堂々と進行し、あらためてこの音楽の特別な魅力に浸らせてもらいました。私はこのソナタの第4楽章は、死者の霊魂がクルクルと舞いながら空にあがっていく様をイメージしたものと解釈しています。

そしてシューマンプラスの最後のアンコール曲は「トロイメライ」と「シンフォニックエチュードの遺作変奏第5番」で、いずれもシューマンが作った最も美しい音楽で,掉尾を飾るにふさわしい作品と演奏でした。さてこれから田部京子はどうするのか? 昨夜のショパンのソナタのすごさからみて、ついにショパンのレコーディングに本格的に取り組むのではないかと予想しますし、またそうあってほしいと期待します。

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2010年12月 8日 (水)

ヒ素生物の驚異

Asdnarna_212月2日のサイエンスにびっくりする記事が出ていました。新聞でも報道され大騒ぎです。その内容はリンの代わりにヒ素を利用して生きている生物が、カリフォルニアのモナ湖に生息していることが判明したというものです。この生物は好塩菌の一種でGFAJ-1とよばれています。

モナ湖というのは水の出口がなく、ヒ素が高濃度に濃縮されているそうです。そのような環境に長年暮らしているうちに、リンをヒ素で代替するように進化したのでしょう。トレーサー実験でヒ素はDNAにも取り込まれているらしく、そうするとDNA・RNAの構造は図のようになります。

DNAというのはバクテリアからヒトまで、あらゆる生物が遺伝の担い手として持っているもので、たとえばひとりの人間が持つDNAの長さは1000億キロメートル以上にもなります。地球と太陽の距離が1.4億キロメートルですから、この長さがどんなものか想像できます。

DNAを発見したのはフリードリッヒ・ミーシャーなのですが、彼は死ぬまでDNAをヌクレインと呼んでタンパク質の一種だと考えていたので、本当の発見者は共同研究者のリヒャルト・アルトマンだとも考えられます。アルトマンはミーシャーの死後、ヌクレインを精製し、これをリンを含む酸性物質として nucleic acid と名付けました。

このアルトマンという人は謎の人物で、私も永年彼の写真を探していますが、一度もみかけたことがなく、イメージを抱くことができません。彼はミトコンドリアの発見者でもあるようですが、その割には不当に低く評価されているように思います。彼は1900年に亡くなっていますが、幸いにして最近彼の著書がドイツで復刻されています。

そしてミーシャー&アルトマンのDNAはその後の研究により、RNAウィルス以外のすべての生命体の遺伝情報の化学的実体であることがわかりました。それが今回の発見により根底から覆されることになったのです。DNAはデオキシリボースという糖とアデニンなどの塩基の組み合わせがユニットで、各ユニットがリンでつながっているという構造になっています。そのリンがヒ素でもOKというわけです。

ヒ素はDNA・RNAのリンだけでなく、生物のエネルギーの根源であるATPのリンもヒ素が代替しているわけで、こんな根源的で大規模な変化がどのような進化のプロセスで実現したのか想像できません。DNA・RNAを加工する多数の酵素、およびATPを利用している多数の酵素がすべて変化しないとヒ素生物は実現しません。たとえばDNAポリメラーゼ1はリンDNAを合成し、DNAポリメラーゼ3はヒ素DNAを合成するということになると、生物は無茶苦茶になってしまいそうです。それを考えると、ひょっとすると生命の起源がふたつあったという考え方も、現時点では否定されていますが、あながち無視するわけにはいかないのではないかと思います。

参考文献:
Science
http://www.sciencemag.org/content/early/2010/12/01/science.1197258
NASA
http://www.nasa.gov/topics/universe/features/astrobiology_toxic_chemical.html

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2010年12月 6日 (月)

2010年12月5日西島三重子ライヴ@原宿ラ・ドンナ

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原宿に出かけました。神宮前の駅を出ると人も車もいっぱいです。表参道のライトアップのせいでしょうか。歩道を歩くのもとても大変です。目的地はミュージックレストラン「La Donna」。西島三重子のライヴです。

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会場はライヴハウスとしては理想的ともいえるつくりで、私は一番後ろの席でしたが、大変見やすく聴きやすい感じでした。ただ通常のライヴハウスと違って、お料理がフレンチできちんとしたものなので、総料金は倍くらいになりますが、ディナーショウと考えると格安ともいえます。今日はいつものライヴと違って、カバー曲中心のプログラムというお話だったので興味津々です。

西島三重子 (Vocal)、平野融 (Guitar)、平野肇 (Percussion)、織原洋子 (Piano & Keyboard)

曲目

1.灰色の瞳:知らない曲でした。まわりの人に聴くと、さすがにJPOPに詳しい方がいて長谷川きよしと加藤登紀子の曲だと教えてくれました。

2.ハナミズキ:一青窈の曲です。なかなかいい感じで歌い始めたのですが、突然大きな非常ベルの音が鳴り中断。これは火事かもと思いましたが、誤報ということで一件落着。ライヴではいろんなことがあります。後で支配人らしき人が回ってきて、お客さんひとりひとりに謝っていました。

3.真夜中のギター:千賀かほるの曲。古いフォークソングですが、最近島谷ひとみがカバーしているようです。

4.サイレント・イヴ:辛島美登里の曲。大変素晴らしいバラード曲で、みーちゃんの歌も立派。

5.雪の華:中島美嘉の曲で、すでにみーちゃんもカバーしています(アルバム「Re-Cover」)。もちろん名曲ですが、キーが高くて歌うのは大変そう。

6.ザ・クリスマスソング:メル・トーメのスタンダードナンバー。

7.サマータイム:ガーシュインの「ポギーとベス」からのスタンダードナンバー。

8.スーパースター:カーペンターズの大ヒット曲

9.愛の賛歌:エディット・ピアフの曲。私はみーちゃんが歌うこの曲が大好きで、開放感と高揚感がたまりません。ピアフや越路吹雪よりもケレン味なく正統的な歌唱という感じがします。

10.セ・シ・ボン:イブ・モンタンの曲。素晴らしい曲ですが、このような軽めでおしゃれな曲が似合わないのは、やはりみーちゃんの律儀重厚な性格なんでしょうかね・・・と私は思う。

ブレイク

11.青春のシュプレヒコール:オリジナル曲。本人がお気に入りの曲。

12.シルエットロマンス:外国でもカバーされているという大橋純子の名曲。

13.ジョニィへの伝言:ペドロ&カプリシャスのいにしえのヒットソング。もちろん独立してからの高橋真梨子も歌っています。

14.悲しい酒:美空ひばりの名曲ですが、私が子供の頃うちの家族は全員美空ひばりが大嫌いで、テレビに登場するとブーイングの嵐でした(でも消しはしない)。バンドが間違ったときに、間奏の際にそちらをにらみつけるのがえぐい感じでした。

15.港町十三番地:引き続き美空ひばりの曲ですが、これはみーちゃんのカラオケ18番らしく、いい乗りでした。客席も手拍子で支援。

16.私鉄沿線:野口五郎の曲。愛の賛歌と並んでみーちゃんにぴったりだと思う曲です。彼女が作曲家としての仕事を始める際に、原点のひとつになった曲みたいです。

17.池上線:もともと野口五郎に歌ってもらうことをイメージして作曲したそうです。西島三重子最大のヒット曲。

18.ケセラセラ:ドリス・デイの曲。

19.やさしくなれる季節だから:オリジナルのクリスマスソング。東芝EMIをやめてからの曲の中では一番好きな曲です。

アンコール:永遠の少年たち・池上線

数々の名曲を聴かせていただいて、有難うございました。

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2010年12月 5日 (日)

リーガ第14節: バルサ アクシデントを乗り越えオサスナを制圧

Photoクラシコの興奮もさめやらぬ中、試合は待ってくれません。今週はピレネー山脈の麓にあるパンプローナまで遠征です。パンプローナはヘミングウェイの「陽はまた昇る」の舞台であり、サラサーテの生誕地でもあります。ところが大変な事件が起きてしまいました。マドリードの管制官のストライキのため飛行機が飛ばず、対戦相手のオサスナとの試合延期交渉も不調に終わって、列車とバスを乗り継いでの大旅行です。レアルが対戦相手のバレンシアを疲労させるために打った作戦だといううわさも流れています。

やっとレイノ・デ・ナヴァーラ(スタジアム)に到着しましたが、試合開始は遅延し、気温は0℃近い寒さだというのに、アップもそこそこにすぐ試合ということで、バルサにとってはきつい試合となりました。ただ2日前は15センチの積雪だったはずのピッチは、きれいに除雪されていました。バルサはクラシコと同じくFW:ビジャ・メッシ・ペドロ、中盤:イニエスタ・チャビ、底:ブスケツ、DF:アビダル・プヨール・ピケ・ダニ、GK:バルデス。オサスナはカムーニャスとソリアーノの2トップに、左ショジャエイ・右ファンフランの攻撃陣です。お客さんはダウンウェア、毛糸の帽子にマフラー、手袋で観戦です。

オサスナはホームでもあり、かなり攻撃に人数をかけてきます。バルサもクラシコのような集中力はなく、凡プレーも多くて結構ピンチを招きました。一番危なかったのは16分、バルデスが正面にいたソリアーノにパスしてしまって1:1。PKのようになってしまいましたが、あまりのタナボタにソリアーノも面食らったのか、弱いシュートをバルデスの正面に打ってしまってバルデスが難なくキャッチ。

このあたりからバルサペースになり、26分にはメッシが絶妙のスルーパスを中央の密集内から左に抜け出すペドロにトウで出し、ペドロが半身で受けてDFをさばきながらコントロール良く左隅にゴール。前半は1点リードのまま首尾良く終了。しかしさて後半というところで放送終了。試合開始がおくれたので押してしまった結果ですが、それなないだろうWOWOW! 193チャンネルという超マイナーなチャンネルで放送しているにもかかわらず、この仕打ちはいただけません。

というわけで、あとはインターネットの画像情報ですが、ビジャからメッシへスルーパスが通って、メッシがかなりの距離を独走しシュートを決めて2点目。その後自分が倒されて獲得したPKをメッシ自身が決めて3点目がはいり、結局3:0でバルサが勝利したようです。いろいろありましたがホームで無敗のオサスナに土をつけ、首位をキープできたのは何よりでした(再放送で確認しました)。

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2010年12月 2日 (木)

JPOP名曲徒然草55: 「哀しみのオーシャン」 by 葛城ユキ

Photo葛城ユキ「哀しみのオーシャン」作詞:佐藤アリス・作曲:スティーブ・ウルフ/編曲 SALTY DOG
アルバム「寡黙」(ラジオシティー RCD-2003)に収録

ウィキペディアによれば、葛城ユキのデビュー曲は「木曽は山の中」という民謡のような曲で、この記事を書くために、はじめて試聴しました。この曲が出版されたのは1974年。それから6年間どうしていたかよくわかりませんが、1980年の「哀しみのオーシャン」にははっきりとした記憶があります。歌詞もメロディーも印象的な曲でした。

「哀しみのオーシャン」は純粋なJ-POPではなく、ボニー・タイラーが1979年の第10回ヤマハ世界歌謡祭でグランプリをとった曲「Sitting on the edge of the ocean」のカバーです。数年前に秋葉原の電気街でこのボニー・タイラーの曲がかかっていて、懐かしく思いました。

「哀しみのオーシャン」が出版された頃、松戸の駅ビルに葛城ユキがバンド(SALTY DOG)を連れてやってきて、7-8人のお客さんの前で歌っていました。その7-8人のうちの一人が私でした。私はボニー・タイラーより葛城ユキの歌唱の方がインパクトが強いように感じます。徳永英明とのデュエット曲「Memories」もスケールの大きなバラードで、なかなかの名曲です。

一度渋谷のライヴハウスに聴きに行ったことがあります。前列の人たちは曲にあわせて踊っていて、ライヴハウスとはこういうところなのかと納得した覚えがあります。その後チャゲアスのカバー曲「ボヘミアン」を歌って大ブレークしました。現在でも年に10回くらいはライヴをやっているようです(下記オフィシャルウェブサイト)。

YouTube:

葛城ユキ 「哀しみのオーシャン」

絶滅中

歌手不明
https://www.youtube.com/watch?v=th_6xPiIn0g

Bonnie Tyler - Sitting On The Edge Of The Ocean
https://www.youtube.com/watch?v=rKONZqOqxHQ
https://www.youtube.com/watch?v=dL0aiB7WXpc
http://www.youtube.com/watch?v=JnFGaUgCBtY

Baby still I love you
https://www.youtube.com/watch?v=eT2HRlbvEHE

心からイエスタディ
https://www.youtube.com/watch?v=QYmAyNuHl-0
https://www.youtube.com/watch?v=K2ivESCW4zI
http://www.youtube.com/watch?v=3LT7uoUkl9Q
http://www.youtube.com/watch?v=vve6vZCW3L8
http://www.youtube.com/watch?v=FFYuDMWV_XY

Hero
https://www.youtube.com/watch?v=m0NIrCM-uEA

Without You~Japanese version~
http://www.youtube.com/watch?v=aD5YGiqyPZ4
http://www.youtube.com/watch?v=kRlHeL1awOw

キャリー・オン
http://www.youtube.com/watch?v=85_Kl81Xuvg

32階の夕暮れ
http://www.youtube.com/watch?v=uZdcasN09Ys

蒼い夢
http://www.youtube.com/watch?v=QlMMnQv9xFU

ステージライト
https://www.youtube.com/watch?v=5oeH4D3OOH0
http://www.youtube.com/watch?v=il9gsKP27s4

Only you
http://www.youtube.com/watch?v=v-suDWYQSbA
http://www.youtube.com/watch?v=fvsi1DltZnI

葛城ユキ&徳永英明 「Memories」
https://www.youtube.com/watch?v=SOSD225j8Vo
http://www.youtube.com/watch?v=K0IU6mG7-6M

葛城ユキ 「ボヘミアン」
http://www.youtube.com/watch?v=EVhdYFjNuOI
http://www.youtube.com/watch?v=lwPwropKZx0
http://www.youtube.com/watch?v=fQVefkdY0Xs
http://www.youtube.com/watch?v=NJzv8pIkz0g

オフィシャルウェブサイト:http://katsuragiyuki.info/

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