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2010年4月24日 (土)

魔境セピック

今日のお昼にBSジャパンで『 初公開!魔境セピック 「決死のワニ猟と秘密の儀式に命をかける民」』という番組をやっていました。私の愛読書に 西丸震哉著「さらば文明人 ニューギニア食人種紀行」 講談社 1969年刊(私が持っているのは角川文庫版 1982年刊 絶版ですがアマゾンなどで古本を入手するのは容易)という本があります。

西丸氏が探索した頃はまだオーストラリア領だったのですが、その後幸いにも独立してパプアニューギニア独立国となりました。そのせいか、BSジャパンの番組を見ていると、村の中心にはキリスト教会ではなく、今でも「精霊の家=ハウスタンバラン」という装飾を施した立派な建物がたっており、彼らの文化・宗教が保護されていたことは素晴らしいことだと思いました。もっとも最近はそれらが観光の目玉になっているような面もあるようですが。

日本も大和民族が支配する前には、彼らのようなアニミズムに彩られた生活があったとも言われています。西丸時代と違っているなと思ったのはどこの家族にもアルミの鍋がひとつあり(多分政府が配ったのではないでしょうか)、土器も特定の部落で制作されていて物々交換で手に入れられるみたいだったことです。西丸時代にはそのような容器がまったくないという不便な生活だったようです。

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番組では山奥の方には入っていかなかったようです。これはちょっと残念。今でもかなり危険なのかも知れません。図は西丸氏が山奥で収集したという彼らの音楽の楽譜。西丸氏の本には出ていなかったことで驚いたのは、人の皮膚に多くの傷をつけて、まるでワニの皮膚のようにする成人の儀式。これは特定の部族だけの習慣のようですが、度肝を抜かれました。儀式の途中で感染症で死亡することもあるようです(やっぱり)。

参照:

1.http://morph.way-nifty.com/grey/2006/07/post_8a37.html

2.http://morph.way-nifty.com/grey/2006/07/post_1c40_1.html

3.http://morph.way-nifty.com/grey/2006/07/post_1c40_1.html

(過去記事の再載)

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「さらば文明人」は西丸震哉氏の1969年講談社刊の著書で、私が入手したのは1982年版の角川文庫版です。それ以来4-5年に一度は読んでいるので、もう数回通読したことになります。私にとっては、バイブルとまではいかなくても、こんなに何度も読んだ本はありません。ネットオークションなどで、今でも入手可能です。

内容は著者が文明人未接触の石器時代そのままの生活をおくる食人種族を求めて、ニューギニアの奥地を探索するというものですが、本題に入る前にかなり長いイントロがあります。著者は食人種探索の前に、トレーニングとして旧日本軍が行軍したスタンレー山脈横断を試みています。この経験をもとに、著者はこの山脈越えのポートモレスビー攻略作戦(レ号作戦)を計画立案した人がまだ生きながらえているならば、「お前はいますぐにでも千鳥ヶ淵の無名戦士の墓前に進み出て、腹を切るべきである」と糾弾しています。

この記述をきっかけに、私は戦記物を読むようになりました。なかでもガダルカナルとインパールを生き残った高崎伝氏の「最悪の戦場に奇蹟はなかった」(光人社)には強烈な印象を受けました。高崎氏もインパール作戦について「愚将牟田口将軍のもとに、万骨枯れた英霊の無念を思えば、故人となった将軍の屍にムチ打っても、なおあまりある痛恨限りなき地獄の戦場であった」と述べています。総理の靖国神社参拝是非が論争の的になっていますが、実は日本を戦争に導いただけでなく、無茶苦茶な作戦で多くの将兵や軍属を無駄死にさせた、悪魔のような戦争責任者である司令官達の多くが、なんのおとがめもなく生き延びたということの方がさらに重大な問題だと考えます。私は日本人の手でもう一度東京裁判をやりなおし、真のA級戦犯をあぶりだすという作業をやらない限り、太平洋戦争の総括はできないと思います。

それはともかく、西丸氏が歩いた1968年当時、もう敗戦から20年以上たっているにもかからわず、まだ遺骨が縦走路のそちこちに転がっていたようです(ほとんどは疲労餓死)。戦争当時の原住民は、なにしろ石器時代以来はじめて会った外来人が日本軍ということで、本当にびっくりしたことでしょう。

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さて本題の文明人未接触の食人種族ですが、彼らは大パプア高原に住んでいます。 かなりの部落には、すでにオーストラリア政府の役人が入っていて接触済みだったようですが、西丸氏が行った頃にはまだ完全ではなく、いくつかの部落にはまだ手が届いてなかった時代でした。どうしてこんなに遅れたかというと、それは彼の地の気候があまりにも悪かったからだということです。

つまり一日のうち18-20時間は年中土砂降りなので、隣の部落に行くには泥のような地面の土地を走っていかなければならないのです。4時間くらい走ってたどり着かなければ、野営ができないほどの土砂降りになり、体力を著しく消耗してしまいます。さらにそこらじゅうヒルだらけなので、眠ろうものならたちまち体中からヒルに血を吸われて、体がそれこそひからびてしまいます。また踏み跡のような蛮路しかないので、迷えば即死を意味します。

人を食べると言っても、むやみに殺すわけではなく、彼の地では人の心を傷つけることが大きな罪なので、他人の心を傷つければ殺されても仕方がないという感覚なのだそうです。こういうルールなら、ある意味文明社会でも、思慮深く平和な社会が築けるかもしれません。それでも人間の性といいますか、女をめぐる争いは後を絶たず、不倫した女を殺してしまう(確かに不倫は著しく人の心を傷つける行為とは言えましょう)というようなこともままあるようです。

こうした殺人や事故で死人が出た場合などに、食人が行われるようで(病死した人の肉は食わない)、常時栄養失調状態にある彼らにとっては希有のごちそうではあるのでしょう。彼らには死体や骨を神聖なものとしてみる宗教的な心情はないようです。すべての人間は本来宗教的な心情を持つという概念は間違っているということです。

私が特に興味を持ったのは、彼らには酋長というようなリーダーを選んだり、人に序列をつけたりという習慣がないということです。類人猿や文明社会の人間は、きちんと社長、部長、課長などという序列をつけなければ何事も進まないという習性がありますが、 もともと人間にはそんな決めごとはなかったのかと、ある意味少し人間という種を好きになったかもという気分になりました。

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さて件の石器時代人の日常生活ですが、ほんとに何もない社会だったようです。芋やバナナなどを栽培する畑を持っていて必要な時に収穫するだけなので、毎日畑に出るわけでもなくのんびりした生活です。酒はないのですがたばこは子供も吸っており、これと夜数人で集まって火を囲んでボソボソ話すとか、歌を唄うというのが楽しみなのだろうと西丸氏は観察しています。

常に栄養不足で、40歳になるともうヨボヨボなんですが、光源氏のような高い位の人物でも平安時代には40歳でヨボヨボだったみたいなので、まあそのあたりはちょっと前の日本とたいして変わりないかな。

食人種の部落だから怖いところだろうと思うわけですが、何しろ個人の財産がほとんどないし、生産手段の畑はみんな持っているので、強盗・窃盗・詐欺などの犯罪はなく --- とは言っても文明化すると、たちまちこれらの犯罪が発生するので、彼らが特別高級な人間であるわけではない --- 実は文明社会より、彼らの原始社会の方が平和だと西丸氏は述べています。さらに西丸氏にしてみれば、満員電車で毎日出勤するほうが彼の地よりもずっとつらく、日本の満員電車の環境条件はニューギニア最悪の地よりも余程劣悪で耐え難いとのことです。それより何より、文明社会は必要以上に競争が激しい社会なので、原始社会より格段にストレスが強いという西丸氏の指摘は、いまでも的を得ていると思います。

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