« バルサ: 苦手のヘタフェ戦 へたくそレフェリーの危機をのりきる | トップページ | JPOP名曲徒然草3: 「遠く遠く」 by TAKAMI »

2009年4月21日 (火)

北京原人はいつごろ生きていたのか

07b人類の歴史はおおまかには、猿人(アウストラロピテクス)→原人(ホモ・エレクトス)→旧人(ホモ・ネアンデルターレンシスなど)→新人(ホモ・サピエンス)ということになっています。もっともこの間いろいろな人類が生まれては絶滅をくりかえしているようです。

最近ではホモ・フロレシエンシスという種は、12,000~14,000年前まで、あるいはそれより最近までインドネシアのフローレス島で生存していたということがわかって、あっと驚きました。12,000~14,000年といえば日本ではもう縄文時代にはいっていた頃で、そんなに昔ではありません。しかし今日ではもはやヒト属はホモ・サピエンスという一種類の生物しか存在せず、淋しいグループとなっています。

ヒトの進化のおおまかな経過を国立博物館のサイトにあった図をお借りして示します。

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/1/1-07.html

これをみるとわかるように、ホモ・エレクトゥスは古いタイプの人類でありながら、ホモ・サピエンスと同時代まで生き延びていたかもしれないとされています。北京原人やジャワ原人はホモ・エレクトゥスの一種ですが、彼らが今日の中国人やインドネシア人の祖先ではなく、現代人とつながりがあるのは、○印をつけたあたりのごく一部のグループにすぎません。そこからホモ・ハイデルベルゲンシスが生まれ、その一部(○印)からホモ・サピエンスが出現したとされています。ネアンデルタール人もホモ・ハイデルベルゲンシスから派生していますが、現代人の祖先ではなく絶滅種です。○印を経由しない系統は、すべて進化の袋小路に落ち込んでしまいました。

北京原人もネアンデルタール人と同様絶滅種です。住んでいたのは北京近郊の周口店という場所で、化石がみつかった地層は40-50万年前のものとされていました。ところがこの年代測定がいいかげんだったということが最近判明しました。

Granger 博士らは正確な年代測定のためにアルミニウム・ベリリウム法という新しい方法を開発しました。石英粒子が宇宙線にさらされて生成される放射性核種アルミニウム26とベリリウム10の構成比を測定すると、通常は6.8対1で一定ですが、時代が経過して地層の中に埋め込まれると、宇宙線照射の影響が少なくなり、露出していたときに作られた放射性核種は、一定の半減期のもとで自己崩壊し減少していきます。両核種のうちアルミニウム26の崩壊の方がベリリウム10より早いので、アルミニウム26とベリリウム10の比率は、その埋蔵期間に応じて小さくなっていきます。これによって今までより正確な年代を割り出すことが可能になりました(Granger and Muzikar, Earth Planet Sci Lett 188 269-281 2001)。

沈冠軍博士らは、周口店における化石発見地層の石英および石英化石の年代を上記の方法で測定し、77±8万年という答えを出しました(*)。これは従来の測定と30万年の開きがあります。まあ考古学はこのくらいアバウトなものだということでしょうか。北京原人の年代論はここからまた再出発です。

* Shen et al., Nature 458, 198-200 (2009)

|

« バルサ: 苦手のヘタフェ戦 へたくそレフェリーの危機をのりきる | トップページ | JPOP名曲徒然草3: 「遠く遠く」 by TAKAMI »

生物学・科学(biology/science)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/133582/44746296

この記事へのトラックバック一覧です: 北京原人はいつごろ生きていたのか:

« バルサ: 苦手のヘタフェ戦 へたくそレフェリーの危機をのりきる | トップページ | JPOP名曲徒然草3: 「遠く遠く」 by TAKAMI »