« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月28日 (土)

バルサ: 全力でリヨンと引き分けに持ち込む

Braugrana代官山から帰宅すると、ちょうどJスポのバルサTVで、オリンピック・リヨンvsバルサのチャンピオンズリーグが始まっていました。そのまま観戦に突入。なんという長い1日じゃ。場所はリヨンの本拠地スタッド・ド・ジェルラン。こんな大事な試合にイニエスタがいないとは・・・。アビダルも負傷欠場です。FW:アンリ・エトオ・メッシ、中盤:ブスケツ・チャビ、底:ヤヤ、DF:プヨール、ピケ、マルケス、ダニ、GK:バルデス。

開始早々バルサはおそらく作戦で、中盤を省略して一気に長い距離のパスを次々とDF裏に出して攪乱に出ました。しかし敵もさるもの、非常に守備が良くてうまくいかず、次第に押され気味になってきました。さすがにフランスの一部リーグを7年も連覇しているチームです。

結局ジュニーニョのFKにバルデスが反応できず、直接ゴールを決められてしまいました。このときTVには映っていなかったのですが、バルデスがバックしようとした瞬間に足を踏まれているように感じたのですが、どうだったのでしょう? あるいは、その瞬間に脚に違和感を感じてやめたのかもしれません。まあかなり距離があるFKだったので、ヘディング警戒でバルデスの気持ちが前方にあったことも事実でしょう。

これで厳しくなりましたが、後半はバルサもかなり自分たちのペースをとりもどし、CKからマルケスがヘッドで合わせてはずれるところを、飛び込んだアンリが頭で押し込んでゴール。これでようやく引き分けにこぎつけました。調子落ちのバルサだったので、ここで引き分けに持ち込めたのは大きかったと思います。選手達は非常に頑張りました(◎)。

PS:バルサも狙っているというリヨンのエース・ベンゼマをじっくり見ました。彼は非常にオーソドックスなワントップタイプのストライカーで、素晴らしい選手ですが、バルサよりマドリーやイタリアのチームに向いているかなと思いました。バルサのFWはもっとトリッキーな感じの選手にやってほしいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

山崎ハコ ライヴ@晴れたら空に豆まいて

Img_0032 昨日は家の用があって仕事を休みました。しかし夜には代官山のライヴハウスに遠征の予定。去年もそうでしたが、こんな日に限ってめったにない雪。北総台地は雪原と化しました(写真)。冬はめったに夜遊びしないのに、その1日がこれとは!

懐かしい東横線渋谷駅。学生時代はずっと祐天寺の学生寮に住んでいたので。代官山の駅を下りて地下二階のライヴハウス「晴れたら空に豆まいて」Img_0035_2 に行くと、あれれ?ここには数年前にみーちゃんのライヴ(多分因幡晃とのジョイント)できたことがあるぞ。でも名前も内装も変わっていて当時の面影は全くありません(写真)。

ハコちゃんのライヴは横浜の赤レンガ倉庫以来ですから、久しぶりになります。
http://morph.way-nifty.com/grey/2006/11/post_17ea.html
2006年11月3日か・・・。こういうときにブログやっているとちょっぴり便利。

いつも通りTシャツにスラックスというシンプルなスタイルで登場。前半はひとりでギターをひいて弾き語り。今日はおもにデビューアルバム「飛びます」から選曲してやっていました。「望郷」「橋向こうの家」「影が見えない」など、まあよく17才でこんな曲を。

後半は旦那安田氏のギターが加わって、ぐっとハッピーモードでエネルギー全開のライヴでした。彼女が言うには「私の歌が洞穴だとすると、彼はその天井にあいた青空が見える穴だ」ということでした。「てっせん子守歌」「ヨコハマ」「横浜ホンキートンクブルース」「白い花」、それに新曲の「Beatle」も。この新曲もなかなかよくて、作曲の腕が衰えていないことを証明しました。そして年をとっても「気分を変えて」は必ずやるんですね。

最近ポニーキャニオンから出た「山崎ハコ ベストコレクション」に収録されている「気分を変えて」のライヴバージョンは20才のときのもので、使っているギターは六千円のものだという裏話を披露してくれました。裏話といえば、「最初に所属していた事務所にブルースを歌っている子がいたので、私はブルースを歌うのを禁止されていた」というびっくりするような話もしていました。

安田さんと結婚してから変わったのは、MCがちゃんと文章になってきたということです。以前は単語が無秩序にならんでいる感じで、全くつじつまがあっていませんでした(なんとなく言いたいことはわかりましたが)。日常生活でコミュニケーションをとる必要が生じたからですかね? ともかく元気な姿をみられてよかったです。本人の告白によると80才になったら唄う歌というのをもう用意しているとのことでした(爆)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月26日 (木)

あの人が元気だった頃・・・

2私がまだ駆け出しの頃、ある女子学生の卒研の指導をまかせられました。まだセルロースアセテート膜で電気泳動を行うこともある時代でした(写真)。寡黙な学生でしたが、実験はきちんとしていて、データをポストカードファイルに整理していました。本棚を整理していて、しばらくぶりでそのファイルに出会いました。

優秀な研究者で製薬会社で仕事をしていましたが、数年前にある病気にかかり、手術は成功したのですが、手術後酸素吸入器をはずすのが早すぎて、植物状態になり、1年後に亡くなってしまいました。明らかに病院のミスです。私がそれを知らされたのは亡くなって葬儀も済んだ後で、呆然としてご自宅に焼香に伺いました。まだまだこれからの人だったのに、誠に残念でした。

元気だった頃今ごろの季節に彼女の研究所を訪れて講演をしたことがあり、学生時代はあんなに静かで引っ込んだ感じだったのに、すでに部下も何人かいて、素晴らしい研究環境で頑張っていたことを懐かしく思い出します。普通応接室に通されるとお茶がでるものですが、リポビタンDが出てきて笑ってしまいました。早春なのに日焼けしていて、夏にマリンスポーツに明け暮れているため、季節が巡ってもぬけないみたいでした。今はその笑顔しか思い出せません。

合掌・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月25日 (水)

「印象」 by 三浦友里枝

1 すべての明かりが落とされた、総ガラス張りのリゾートホテルの窓際のステージ。真夜中の海に月影がたゆとう。誰がピアノを弾いているのだろう? 夏なのにピアノの周りだけ、ひんやりとした空気がただよう。ゆっくりと近づいてみた。かすかに音が肉感的になる。しかしかすかにだ。月明かりに照らされたその人は・・・・・三浦友理枝だった。曲はドビュッシーの「月の光」。

彼女は私をちらりと見て、まるでサービスしてくれるように「アラベスク」「亜麻色の乙女」「夢」と親しみ深いメロディーを奏でてくれる。しかし本番はこれからだ。まるでラヴェルの娘であるかのように、「クープランの墓」や「ラ・ヴァルス」を弾く。彼女はラヴェルを弾くために生まれてきたのか? 少なくとも彼女がベートーヴェンを弾く姿は想像できない。思う存分ラヴェルを弾いたあとのデザートはサティだ。

日本初のアカデミー賞受賞が騒がれている。でも日本が世界に誇れるものは、本当はあまたの素晴らしい音楽家達だ。三浦友理枝ももちろんその一人だろう。

「印象」piano:三浦友理枝 AVCL-25035 AVEX CLASSICS

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月22日 (日)

バルサ: 不覚の敗戦

Braugrana最近はプレーに冴えがなく、敗戦を免れるのがやっとという暗雲漂うバルサ。すぐにチャンピオンズリーグでリヨンと戦わなければいけませんが、リーガが第一目標であることを忘れてはいけません。

最下位のエスパニョールとの対戦といっても、当然ペップは中間故障のイニエスタ、回復途上のプヨールを除いてはベストメンバーでスタート。FW:アンリ・エトオ・メッシ、中盤:ケイタ・チャビ、底:ヤヤ、DF:アビダル・マルケス・ピケ・ダニ、GK:バルデスです。エスパニョールは久しぶりでデラペーニャが復帰してきました。

開始間もなくなんとアビダルがファウルを受けて故障退場。大変なことになりました。お休みのはずのプヨールが急遽左SBで登場。かなりエキサイト状態になり、レフェリーも人違いでベンチのブスケツにカードを出すという大失態。さすがにペップも切れていました。

さらに泣きっ面に蜂で、ケイタのファウルが一発レッドをくらいます。足の裏が見えたとはいえ、非常にきわどいプレーで悪意があるものではありませんでした。イエローがいいところだと思いますが、これで中盤が一人になってバルサは大変です。

後半はアンリを下げてブスケツを投入。やっと中盤を補強しました。しかしネネに左サイドをズルズル走られて、3人もついていながらクロスを上げられてしまい、まっていたデラペーニャに頭で合わされて失点。さらにバルデスが、あろうことかデラペーニャにパスしてしまい、信じられない失点。茫然自失です。

バルサもヤヤがゴール前のこぼれ球を、きれいに押さえた低いシュートで得点しますが、今日はこれだけでした。最後はエトオを下げてグジョンセンを出し、ブスケツをトップにするという奇策にでますが不発。27年ぶりのカンプノウダービー敗戦でした。しばらくきつい戦いが続きそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月21日 (土)

今は亡き猫たち みんみんと子供たち編

Cccみんみんはまだ生まれて数週間で団地のまわりをうろついていた猫です。まあうちと縁があったのでしょう。うちに住み着いて子供までつくってしまいました。この猫は毎晩リードをつけて、一緒に散歩にいっていました。1日だけ抜け出して妊娠してしまいました。

生まれた子供は三毛のキョンキョンとサビ(小さい頃は黒猫っぽかった)のクロパンです。キョンキョンは知人に譲って育ててもらいました。サビ猫というのは写Ddd 真映りが悪くて困ります。顔の輪郭さえわからないことがあります。しかしクロパンは19才まで生きて、天寿を全うしました。

Eee

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今は亡き猫たち mimi 編

Aaa 学生時代と卒業後しばらくの間はアパート暮らしのため猫が飼えなかったので、東京に出てきてから初めて飼ったのがこの白猫 mimi (オス)でした。当時の上司から譲ってもらった猫で、幼い頃から育てたので深い思い出があります。

Bbb 電車も車もまったく平気だったので、北海道をはじめいろいろなところに連れて行きました。雄猫で家出をくりかえし、結局もどってこなかったのは痛恨事でした。最後まで面倒をみてやれなかったことを現在でも後悔しています。いきさつはサイドバーの門智安の作品集の最初の物語「サリーの帰還」を書く際に参考にしました(下に再揭・・・もう読んだ人にはごめんなさい)。といってもドキュメンタリーではなく、かなり脚色した部分はあります(名前も変わっていますし、眼はほんとはブルーじゃないし)。

こたつや押し入れが好きな猫で、写真でもそんなところにいます。成長してからの写真は筑波の某氏の家を訪問したときに撮影してもらったもので、このブログにはみられない高級なカメラのため精細な写真になっているようです。

------------

サリーは知人の飼い猫が生んだオスの白ネコだった。生後数週間の仔猫のときに譲り受けたが、半年くらい経つと眼がブルー、真っ白な短毛、長くてまっすぐなしっぽを持つ大型の美しい猫にすくすくと育った。おもちゃをわたすと、何時間も遊んでいる無邪気な性格だった。頭は右、後足は左という風に、体をねじって眠るのが特技だった。

しかしさすがにおもちゃにも飽きてきたのか、そのうちときどきベランダづたいに外に遊びに行くようになった。最初はすぐに帰ってきたが、しだいに長逗留するようになり、ある時家出して、ついに数日経っても帰ってこなかった。

あちこち探していると、近所の公園で、ベンチに座っている男から弁当を分けてもらっている白ネコをみつけた。間違いなくサリーだと思ったが、首輪が外れていて確認できなかった。思い切って話をしてみようと近づいたとき、男が立ち上がって歩き出した。すると、その白ネコも男の後をついて歩き出した。私は彼らの後をつけた。そしてたどり着いたのは、私の住むマンションの部屋の1階下、つまり2階の一室だった。

それから数日の間私はとても複雑な気分で、仕事も手につかず、悶々と暮らした。しかし一週間・二週間と経つうちに、「あの男に可愛がられているのなら、それもサリーの運命。まあ仕方がないか。それにあのネコがサリーだと確かめる方法もない」という割り切りができて、男と白ネコがいるかもしれない公園や、飼い主の男の部屋には近寄らないようにしようと決断した。

そして半年くらい経過したある寒い夜のことだった。玄関の方でニャーニャーとうるさく鳴く声が聞こえるので扉を開けてみると、なんとサリー(いやあの白ネコ?)がぽつんと座っているではないか!「まあ入れ」と声をかける間もなくネコは玄関に突入し、さっさとリビングに走っていってコタツに潜り込んだ。うちにいた頃もよく潜り込んでいたコタツだ。これは間違いなくサリーだと確信した瞬間だった。サリーは昏々と眠り続けた。久しぶりでエサと水とトイレをいそいそと用意した。

次の日、会社を休むわけにはいかなかったので、眠り続けるサリーを残して出勤したが、サリーのことが病気じゃないかと気になってまともな仕事にはならなかった。しかしそれは杞憂だった。帰ってみるとエサはすっかりなくなっているし、立派なウンチも確認した。サリーは家の中を何度もぐるぐる巡回して点検した。昔も1日2-3回は、家の隅から隅まで巡回していた。点検が終わると、またコタツに潜り込んでぐっすり眠った。もちろん体を180度ねじって・・・。

今度はベランダから逃げられないように、しっかりバリヤーを築いた。サリーがいない間は、帰宅するとただ黙って重い扉を開けるだけだったが、久しぶりで「ただいまー」と挨拶しながら扉を開ける幸福にひたることができた。サリーは私がベッドにはいると、ピョンとベッドの上に飛び乗って、私のふとんの中に潜り込んで眠るようになった。朝になると寝ぼけている私の顔をなめてエサを請求した。家に生き物がいるって、なんて素晴らしいことなのだろう。

そんな日々がしばらく続いた後のこと、ある日酔って深夜に帰宅したとき、いつものように扉を開けると、ただいまーの「た」も言わないうちに、何かの塊がすきまから飛び出した。サリーだと気がついたのは数秒後だった。一気に酔いがさめた。朝まで近所を探し歩いたが見つからなかった。次の日は会社を休み、パソコンで写真入りの張り紙をつくって、近所に貼って歩いた。それから毎日、帰宅するとネコ探しの日々だった。サリーを飼っていた男の部屋も訪ねてみたが出張なのか返事はなく、裏に回ってみても部屋に電気はついていなかった。男とサリーのいた公園にも毎日立ち寄ったが、男もサリーも居なかった。

しかしある日、ついに男をみつけた。彼は公園のベンチに一人で座って、不機嫌そうに弁当を食べていた。話しづらい雰囲気だったが、私は思いきって男に声をかけた。

「すみません。以前に白いネコを飼っておられましたよね」
男はうさんくさそうにこちらに目を向けた。私はあわてて
「私は3階に住んでいる長野という者です」と付け足した。
「ああ、マサオのことですか・・・。家出して帰ってこないんですよ」と男は暗い表情で答えた。最後の望みが絶たれた気がした。

なぜだか急に涙があふれてきたので「そうですか」とだけ言って、私はその場を立ち去った。どんどん歩いてふと振り返ると、男はヒザをかかえ、うつむいてベンチの上にじっと座っていた。

それから白い野良猫をみつけると、いつもサリーと呼びかけていた。しかしいつからか、それも心の中で呼びかけるだけになり、年月を経て私の脳裏からサリーは離れていった。私の手元に残されたのは数枚の写真だけになった。それでもときにはアルバムを開いて私はサリーにそっと言うのだ。

「ただいま サリー」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月19日 (木)

サラとミーナ49: 模様替えでゴミの山のなかで

1000720サラ(ラグドール風)は冬は苦手。暖かい場所でおとなしくしています。時に寒い場所でじっとしていることがあるのが不思議で、猫の気持ちというのもまだまだわからない部分があります。ミーナ(三毛)はとても活発に活動しています。寒い日は布団の中にはいってきて、私を押しのけて真ん中で寝ます。帰宅するとすぐ玄関にお迎えにきます。私の行く部屋にたいていつい1000732 てきます(飽きたら出て行きますが)。サラを可愛がっていると、すぐに妨害にやってきます。

1000723

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月17日 (火)

お風呂の髪の毛

1 今日は学術とは関係のない髪の毛の話です。
お風呂の抜け毛は、日常生活で困ることの一つです。
私の知人のひとりは、女性とホテルに泊まったときに、その女性がお風呂の髪の毛をちゃんと始末しなかったのをみて、別れたという話をしていました。

うちで愛用しているのは、写真のメッシュ。ただの銅のメッシュなのですが、これが意外に便利。
付属している固定ピンは使用せず、そのまま排水溝に置いて使うのがコツです。髪の毛がとりきれないときは、裏返してシャワーをかければ簡単にとれます。一年くらいは使えます。

http://item.rakuten.co.jp/ayahadio/4973987590795/

どうしても手でさわるのが嫌だというむきには、下記のような
アイテム(ゴミはさみ)を使う手もあります

http://www.emono1.jp/detail-58962.html

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年2月15日 (日)

バルサ: ベティスの善戦にやっとこさのエンパテ

Braugranaダービーマッチに勝利して意気上がるベティスの本拠地マヌエラ・ルイス・デ・ロペラ@セビリアに遠征。ベティスにはCFオリヴェイラが復帰していました。今日のバルサはFW:イニエスタ・エトオ・フレブで、アンリとメッシはおやすみです。中盤はケイタとチャビ。底はブスケツ、DFはアビダル・カセレス・ピケ・ダニ、GKバルデスです。ベティスはオリヴェイラ以外にもエマナ、ゴンザレス、セルヒオ・ガルシアなど攻撃的な選手も多く、今期最大の激戦になりました。

まずCKからメジに頭で合わされて(ブスケツが押さえきれなかったのは残念)早速失点。攻められるとすぐ失点しそうな展開になるのが、やはりプヨール・マルケス・ヤヤの不在がこたえているのか?フレブがなかなかチームにフィットしてこないのも痛い。バルサの選手達とは少し違ったリズムを持っている選手なので、なんとか自分のポジションをみつけて欲しいと思います。

しかしベティスの方も絶好のチャンスをミスで逃したりもありました。2点目の失点は、セルヒオ・ガルシアの右からのクロスが逆サイドのマルク・ゴンザレスに通って、彼にノーマークでのシュートを許してしまいました。このまま2:0で前半終了かと思いましたが、終了直前イニエスタのつっこみにDFがたまらずインターフェアでPK獲得。エトオのPKは、完全にGKのヤマカン(?)にはまってはじかれますが、こぼれ球をエトオが拾って自らゴールを決めて、失敗をチャラにしました。

後半も逆転どころか、むしろ危ない場面をGKバルデスに救われるというまずい状況。ペップもたまらず11分にメッシ・アンリを投入。ベティスもオリヴェイラが絶好の1:1を逃すなどドジをふんでくれます。さらにブスケツを下げてまでボヤンを投入。これで総攻撃ムードになりました。でも結局決めたのはエトオの個人技。チャビから中央で後ろ向きで受けたパスを、反転しながら(ゴールに向かって)右に逃げてDFを振り切り、強烈な1発をたたきこみました。

このスタメンだとこういうことになるかも・・・とはペップも考えていたと思いますが、それでもローテーションを断行するところがペップのすごいところです。またこのゲームをドローに持ち込んだイニエスタ・エトオ・バルデスらの奮闘も賞賛されるべきでしょう。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009年2月14日 (土)

地元千葉ニュータウンの話:さて食事はどこで?

Herbspice 千葉ニュータウンショッピングセンター(イオンモール)も、もうすぐ3年目を迎えようとしています。ジャスコと185店舗だそうですが、その185店舗のなかにはドンキホーテ、コジマ、ワーナーマイカルシネマなどの巨大店もはいっています。それでも牧ノ原のジョイフルホンダ周辺の巨大さには及ばないかも知れません。駐車場はたっぷりあるので、満杯はまずありません。

もう閉店した店も結構あります。ジャスコの入り口の脇というベストの場所を占めていたレストランも閉店しました。このあたりでランチ・夕食ってことになると、私がおすすめするのは、チェーン店ですが写真の「地中海料理の店 Herb & Spice」。

平日の閑散とした状況をみて、いつ閉店になるのかと心配でしたが、最近になってやっとお客さんが増えてきたようです。味はパスタもピザもパエリアも、それぞれそれなりにちゃんとしたもので、値段もリーズナブルです(内容の割に安いと思う)。よくみんなに良さがわかってもらえるまで耐えたものだと思います。チェーン店だからこそでしょうか? でもチェーン店だから逆にすぐ撤退ということもあり得るでしょう。まあほめてあげましょう。私が特に好きなのは「茄子ときのこのボロネーゼ」。

料理の写真例 → http://blog.goo.ne.jp/jandy7322/e/39978b84f9740c6732a2fe8e4b694f79

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月11日 (水)

マッドピアニスト出現?

220pxgrand_piano_1781_france__louis何気なくNHK衛星放送を見ていたら、日本音楽コンクールの放映があって(番組表には出ていなかった)、偶然喜多宏丞(きたこうすけ)という若手ピアニストに遭遇しました。数回鍵盤にタッチしたところで、たちまち「おおっ」と言いました。リストのコンチェルトをやっていましたが、すごい演奏でした。それだけでなく、口と手のパフォーマンスがすごい。マッドピアニスト出現か!

ホームページがありました↓。

http://music.geocities.jp/kita_kosuke/index.html

持論では「動作は音楽になる」そうで、ああそうゆうことでしたか(半分納得)。
奇術が得意だそうで・・・。

それで肝心のコンクールでは1位だったそうです。やっぱり。現在東京芸術大学修士課程在学中だそうです。さてこれから何をやらかしてくれるのでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バルサ: アンリ・メッシのアシストでエトオの小技が冴えわたる

Braugrana ちょっと遅れてしまいましたが、ヒホン戦@カンプノウのレポートです。最近の定番でFW:アンリ・エトオ・メッシ、中盤は真打ちのイニエスタ・チャビ、底はヤヤはお休みでブスケツ、DFはアビダル、プヨール、久しぶりのカセレス、ダニ。CBがどうなるかと心配しましたが、なんとかプヨールが間に合いました。

バルサの圧倒的なボール保持でしばらく推移しましたが、先制点はなんとカウンターから。イニエスタがピッチの中央を長距離疾走し、左のアンリに出し、アンリは軽くワンタッチで中央へ。ここにオフサイドラインぎりぎりで走り込んだエトオがきっちりあわせてゴール。ちょっと体を開いてGKの逆をついた小技の冴えがありました。さらにメッシからエトオへのスルーパスが通って、受けたエトオが小さな切り返しでDFを交わしゴール。きょうはエトオの日でした。

後半は少しダレましたが、ダニが自分で持ち込んで強烈なシュートを決めて目が覚めました。このあとFKからキケ・マテオにうまいシュートを決められてしまいましたが、3:1で逃げ切り10連勝です。圧勝したように見えますが、今日はチャビ、イニエスタ、メッシあたりには疲労のためか、めずらしくずれたプレーが結構ありました。これから少し楽なスケジュールになるので、立て直さないと。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年2月 9日 (月)

ACミランのロナウジーニョ

Photo WOWOWとケーブルテレビでいっぱいいっぱいで、スカパー!で欧州サッカーの契約をするほどの余裕がありません。そういうわけで、ロナウジーニョにもずいぶんご無沙汰しています。しかしなぜか今日の未明にフジテレビで、ミランvsレッジーナの試合をやっていました。

ミランはベッカムが加入してから好調のようです。ロナウジーニョもスタメンで出ていました。おお!懐かしい。相変わらずセンスのいいパスを連発していましたが、まだ少し受け手に理解してもらっていないところもありました。FKやCKは基本的にベッカムの仕事のようです。PKはカカ。レッジーナは自陣1/4のところにほとんどの選手が引く作戦なので、中盤では楽に球を持てるのですが、点を取る攻撃はかなり難しいようでした。

この試合でもそうだったのですが、ミランは4:3:2:1の守備的システムなので、相手が亀作戦できたときにはグチャグチャになるようです。バルサではほとんどなかったように記憶していますが、ザンブロッタがゴール前にどんどん出てきたり、マルディーニ老までCKでもないのにゴール前に突入したりでわけわかりません。スペインのサッカーと比べるとパスが荒っぽく、繊細さに欠けます。ですからすぐにカットされてカウンターを食います。

相手のレッジーナは最下位とは思えないくらい、気の利いたカウンターをしかけていました。それで前半には1:0でリードしたくらいです。ミランは後半PKで同点にしましたが、レッジーナに見事にはめられた試合でした。

ロナウジーニョにとっては、バルサにいた方がエトオ・アンリ・メッシに球を出す楽しさがあって持ち味が生きていたんじゃないかと思いますが、ミランでは後方に人がいっぱいで守備の心配はしなくていいので、やりやすい面もあります。ただカカはどちらかというと2列目指向だし、ワントップのパトは素晴らしい選手ですが、マークが厳しくなかなかパスを通すのは難しいです。長身の選手ではないので、頭をねらうというのも不発に終わりがちです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 8日 (日)

タスマニアデビルの奇病2

240pxtasmanian_devil_facial_tumou_2  昨年ついにタスマニアデビルが絶滅危惧種に指定されました。

http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-31889120080521

「感染列島」を見てきました。パンデミックの恐ろしさを存分に感じさせる良い映画だと思いました(ストーリーがなにか希薄な感じがするのが難点)。しかしもっと怖い病気があります。それはタスマニアデビルの顔面腫瘍性疾患です。ウィルスに対しては免疫システムが発動し、間に合えば助かりますが、この病気では免疫システムが全く無効なのです(図はウィキペディアのものです)。

タスマニアデビルはケンカや性交渉のときに、相手にかみつくことがあるので、そのときにガン細胞そのものが個体から別の個体に転移します。このガン細胞はもともと免疫機構から完全に逃れている細胞なので、他の個体に移っても同様にガンをひきおこすのです。他の個体の細胞なのに異物として認識されず、またガン細胞と認識して攻撃されることもありません。

このような病気は人では絶対に発生しないかというと、そんな保証はありません。染色体の変異はどんな動物でもあり得る現象です。そしてタスマニアデビルのようにかみつくようなことがなくても、例えばエイズなどと同様、キスや性交渉のときにうつるなどの方式で、人の場合も蔓延してしまうおそれがあります。

どうやってこの病気と対決するのか? いまのところ「箱船」方式しかないようです。実際には、感染していないことが確認されている個体をタスマニア島からオーストラリア本土に移し、隔離された場所で近親交配の危険に留意しつつ繁殖させるという方法です。これまですでに、かなり繁殖に成功しているようです。結局このような場所で生まれた個体だけが生き残り、野生のタスマニアデビルは全滅を免れないようです。私もこんなに早くクライシスが到来するとは思ってませんでした。

参照:

1) http://www.dpiw.tas.gov.au/inter.nsf/WebPages/LBUN-5QF86G?open

2) Nature. 2006 Feb 2; 439 (7076):5 49.  PMID: 16452970
Allograft theory: transmission of devil facial-tumour disease.
Pearse AM, Swift K.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「ミスティ」 by Jake Concepcion

11112222 ジェイクさんはアジアを代表するサックスプレーヤー。フィリピンの出身ですが、メインの仕事は日本。ユーミンや中島みゆきをはじめ、われらが歌姫-西島三重子も大いにお世話になった方です。もう70才を越えたと思いますが、今どうなさっているのでしょうか?

写真は誰でも知っているスタンダードナンバーばかりの豪華なアルバムです。右側の写真をクリックすると曲目がわかります。1985年出版ですから、もう25年も前のことですか・・・。うーん、時が経つのは早い。アマゾン見たら品切れでした。ヤフーオークションには出ているようです↓。どの曲も安心して身をゆだねられるプロの技です。どの曲がお気に入りなどと言えないくらい、すべてロマンチックで味わい深い演奏。

http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d89880790

CBS-SONY 32DH 274 Jake Conception plays standards "Misty"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 6日 (金)

セカンドバッグ

111 私にひとり友人が増えました。
セカンドバッグです。

土屋鞄 http://www.tsuchiya-kaban.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 3日 (火)

サラとミーナ48: 寒いけれど冬の楽しみ

111風邪がおさまってきたと思いきや、ぎっくり腰になってしまい、本日は仕事を休んでしまいました。いったん座ったり寝たりすると、ピリッときて起き上がるのが大変です。今年のおみくじは小吉だったのですが、中味にかなりきびしいことが書いてあったので(病がなおるのはおそしなど)、そのまま現実化したようです。ミーナ(三毛)は冬でも元気いっぱいですが、サラはこもって寝てばかりです。しかしベランダの戸を開けると、たちまち起きて突進します。

Img_1934

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バルサ: ラシンに逆転勝利

国王杯も佳境に入ってきて、そうそうメンバーを落としてやるわけにも行きません。メッシエトオ・チャビなどを起用し、ボヤンの活躍もあってエスパニョールを撃破しましたが、そのぶんリーガが難しくなります。ましてプヨールが負傷してしまいました。第21節エル・サルディネロでのラシン戦のFWはアンリ・エトオ・イニエスタ、中盤はブスケツ・チャビ、底はヤヤ、DFはアビダル・ピケ・マルケス・ダニです。ラシンはヘタフェ、セビージャを連破して意気あがっているところです。

イニエスタは右エストレーモとしてのプレイはやらない上に、だいたい右にいません。そうすると相棒がいないのでダニも非常に出にくい感じで、みんな中盤の真ん中に滞留していることになります。中盤はほぼ支配できるのですが、エトオやアンリはきっちりマークされているので、なかなか球がでません。シュートもほとんどなしです。ラシンはパスカットを狙っていて、成功すると一気にカウンターに出ます。ラシンは今期ジキッチ(2m以上の上背がある)を獲得し、ペレイラという俊敏なFWもいるので、カウンターはあなどれません。チャンスはむしろラシンに多い感じで前半を0:0で終了しました。

後半ペレイラのスピードにやられて、マルケスがエリア内でひっかけPK。角度がなかったので、無理にチャージにいくこともなかったようにおもいます。ジキッチに決められて失点。そこでメッシを投入。メッシが右サイドにはいり、イニエスタが左の中盤に変わるとバルサも生き返りました。チャビのバックヘッドがバーにあたって跳ね返った球が、ちょうどメッシの目の前に落ちて軽く同点。さらにこぼれ球をうまいボディーバランスで、右足でけり込み、バルサのリーガ5000得点目もメッシが記録しました。

これで逆転勝利はいいのですが、マルケスとピケが2枚目のイエローで退場になってしまったのは痛すぎます。特にピケの二枚目は、ロスタイムでの中盤の抱きつきですが、必要なかったですね。若いね。プヨールは負傷で当分出られないし、ミリートはまだまだ。センターバックが過剰人員と言われていたのが、なんと足りなくなってしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »