« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月30日 (火)

ダイエットと寿命

1 マウスやラットでは食餌制限を行うと、寿命がのびる事が知られています。今年になって京都大学で線虫でもダイエットすると寿命が延びることが明らかになって、新聞で報道されました。

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3958810
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8409187?ordinalpos=1&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DiscoveryPanel.Pubmed_Discovery_RA&linkpos=5&log$=relatedreviews&logdbfrom=pubmed
http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/life/health/CO2008121501000391.html

しかしここで注意しないといけないのは、実験動物のマウスやラットを飼育するときは、彼らに必要な栄養成分がバランスよく配合されている飼料が使われているということです。

人がダイエットすると、必要な栄養素が極端に足りなくなるおそれがあります。例えば各種ビタミン、ミネラル(ナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウム、鉄、亜鉛、コバルト、クロム、マンガン、セレン、モリブデン etc.)などは食べ物によって偏って含まれている可能性が高く、必要量を確保するだけ食物を食べてしまうと、他の栄養素(炭水化物など)を過剰に摂取することになってしまう(当然肥満におちいる)かもしれません。

平安時代には平均寿命が20歳代だったと言われています。この短寿命の要因の第一は疫病だと思われますが、栄養の問題もあったのでしょう。
http://www.taishitsu.or.jp/aging/aging6.html

源氏物語の中で、光源氏は40才になって「老人になってしまった・・・」と言っていますが、現在と比べると自然な老化もかなり早かったのでしょう。当時の貴族階級でも、食事は粗末なもので、ご飯・干物・豆・野菜くらいと考えられています。現代に比べて早い老化の進行は、栄養不足も大きな要因だったのでしょう。

したがって、マウスやラットでダイエットが寿命をのばすからといって、人でも同様だろうというのは怪しい推測です。特に偏った食事をしている人が、そのまま食事の量を減らすと、栄養失調に陥る可能性は高いです。もちろん肥満がいろいろな疾病につながることも事実なので、どの辺で妥協するかというのは微妙な問題です。少なくともその人の食生活や体質によって、どのくらいの体重が適切であるかは異なるでしょう。胴回りが何センチ以上がメタボリックシンドロームだなどと一律に規定するのは暴論です。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年12月27日 (土)

サラとミーナ46: サボテンと段ボール

Img_aサラがサボテンをなんとかいじりたいのだけれど、トゲが邪魔になってさわれない。普通の鉢植えだと、たちまち床に落下しているところです。

ミーナも時には野生をむき出しにします。鳥がベランダに来ると、一気にアクティヴに。段ボールもボロボロにしてしまいました。

寒々しい日々です。北総は朝は氷点下です。「ここにいるよ feat.青山テルマ」なんて聴いてみたくなります。今年一番インパクトのあった曲かな。この曲だけのサイトがあるというのもすごい(↓)。

Img_b 

http://www.universal-music.co.jp/soulja/special/index.html

それにしても SoulJa というのはどういう人物なのだろう?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月23日 (火)

バルサ: 究極のクロスでイエローサブマリンを撃沈

Braugrana_2今年最後の試合となりました。エル・マドリガルでビジャレアルと対戦です。FW:アンリ・エトオ・メッシ、中盤:ケイタ・チャビ、底:ブスケツ、DF:アビダル、プヨール、ピケ、ダニ。4バックといってもダニは常時中盤より前で、ピケが右サイドバックの位置にいる実質3バックです。

前半は中盤の攻防が熾烈な激しい試合で、バルサも好調な動きですが、さすがにビジャレアルも一歩も引かないのは立派。そのまま0:0でブレイクです。後半はまずビジャレアルが得点しました。DFのウラにポンとあげられ、カニがきれいなループでGKバルデスの肩口を抜いてゴール。

バルサも最近の定番、一発のパスで決めるという技で対抗します。ダニが右からクロスをゴール前にあげ、ケイタが頭で合わせて同点。次はチャビがやはり右から鋭くゴール前に低いクロス。これをアンリが軽くミートしてゴール。逆転しました。

その後ピケが訳のわからないカードで退場でピンチになりましたが、ビジャレアルのギジェ・フランコやニハトなどがフリーのシュートをはずしまくって大助かり。満杯のファンはがっくり。この試合で結果勝てたのは、バルサにとっては非常に大きいです。12月は優勝を狙う上位チームをすべて粉砕して、よいクリスマスを迎えることができました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年12月21日 (日)

万福ファンタジー (阿修羅像の東京国立博物館展示によせて)

1万福は百済宮廷お抱えだった仏師の家系に生まれた。子供の頃から卓越した絵画の才能を認められたが、当時最新の乾漆の技術に関心を持ち、祖父・父と同様仏師への道を歩み始めた。寺に通ううちに仏教徒となった。祖父も父も仏教徒だったので、それはごく自然なことと思われた。乾漆とは木と粘土で大まかに像の形をつくった後、麻布と漆と麦粉のペーストを重ねて丁寧に造形し、さらに漆と麦粉・針葉樹の葉などを混ぜ込んだペーストで細部を仕上げるという手の込んだ技術だ。

若い頃から万福の造形の才能は抜きんでていて、住職である老師にも可愛がられた。そのまま平穏に仕事を続けていれば、朝鮮半島の歴史に残る大芸術家として名を残しただろう。しかし運命は彼にその道を歩ませなかった。祖父の時代には隆盛を誇っていた百済も今は唐の支配下にあった。唐の植民地政策は過酷で、独立をめざす反乱軍が蜂起し、万福の父もその中に巻き込まれていた。駐留軍と独立派反乱軍の激しい戦闘で、都にも各所に火が放たれた。万福が仕事場の寺院から帰宅すると、家は焼け、父母兄弟の姿は見あたらなかった。隠れていた知人の話によると、独立派関係者が多く住んでいる万福の家あたりには次々火が放たれ、逃げ出す人々を唐の兵士が皆殺しにしたそうだ。万福の父母や兄弟も斬られたらしい。見覚えのある近隣の人々の悲惨な死体がいくつか放置されていた。万福は狼狽しながら家族を探そうとしたが、唐の兵士が遠くから走ってくるのが見えた。万福は話していた知人と共に必死に逃げざるを得なかった。

行き場を失った万福が寺に戻ると、老師が万福を呼んで言った。
「唐軍の見境のない所行から見て、ここも安全とは言えない。寺は反乱軍が逃げ込む場所とみられている。おまえは私の知人の僧がいる倭国に逃れたほうがよいであろう。一筆書いたものを渡すから、これをその僧に見せて相談してみなさい」
万福は「そんな見知らぬ国に行くことはできません」と答えたが、老師はさらに
「倭国には百済にもない大きな都があると聞く。国は栄え、仏に帰依する人も増えているそうじゃ。敏男がお前を倭国まで連れて行くと言っておる。何も心配することはない。早く行くのじゃ」と強く諭した。

万福は馬に乗り、寺男の敏男と共に間道を港の方に急いだ。振り返ると寺院の方にも火の手が上がっていた。老師は大丈夫だっただろうか。家族の屍はどうなってしまうのか。しかし今はその思いも封印するしかない。やっと港に出て敏男が準備してくれていた小舟の帆を上げ、遙かな倭国に向かって出発した。敏男は昔漁師をやっていたのを見込まれて、老師に万福の運命を託された男だった。対馬までは行ったことがあるが、その先は彼にも未知の世界だった。いったん対馬に渡って、そこの漁師小屋に宿泊し、いよいよ九州に向かった。

天が味方したのだろう。数日で万福は太宰府にたどりついた。百済や新羅の商人が大勢いたのにはびっくりした。彼らに倭国の役人にとりついでもらい、百済人のひとりを平城京までの道案内につけてもらうことになった。敏男も実は反乱軍の兵士であることをはじめて聞かされた。彼ももう半島には居場所がなく、帰りたくないというので、都まで同行することになった。

平城京はうわさに違わぬ立派な都だった。さっそく老師の知人だという僧侶道源を訪ねたら、大いに歓待され、寺に住まわせてもらうことになった。倭国についていろいろ知るにつれて、言葉以外は半島と似ているものが多いことに気がついた。道源師は「万福よ、お前も難民なら我らに協力してこの国の発展に力を尽くさねばならぬ。この国を、我々を追い出した半島の人間を見返してやるような、御仏に導かれた高い文化を持つ国に育てようではないか」と万福に言葉をかけてくれた。後になってわかったことだが、この国には難民やその2世・3世など、朝鮮半島にかかわりのある人々が驚くほど多かった。

道源は権力者の藤原不比等の娘である藤三娘という女性を万福に紹介した。師は敏男にも藤原家の警護員の仕事を紹介したようだった。藤三娘は熱心な仏教徒で、道源のために寺を建てたのも彼女だった。藤三娘は万福を屋敷に迎え入れ「そなたは有能な仏師と聞く。なら私の姿を描いてみよ」と上機嫌でモデルになった。そして万福の絵を大いに気に入って、褒美の反物まで与えてくれた。それから万福は藤三娘の屋敷に出入りするようになり、仏像や器のみならず、大工のまねごとのような仕事も与えられたが、持ち前の器用さでなんとかこなすことができた。そのうち姫(藤三娘)はよく万福に愚痴をこぼすようになった。「この国のやんごとなき男どもは皆陰謀や権力闘争に明け暮れ、国のまつりごとを真剣に考える余裕などないのだ。誠になさけないこと」などとよく嘆いていた。

それからまもなく、姫を不幸が襲った。母親が死去したのだ。姫はそれを悲み、供養のために興福寺にお堂を建てて、そこに仏像を安置しようと計画した。そしてその仏像制作責任者のひとりに万福を指名した。20才になったばかりの若い仏師にとっては大変な栄誉だった。指名された者はみんな張り切って制作に取りかかった。

しかし万福にはひとつ大きな問題があった。あの自宅放火と家族皆殺しの惨劇を経験して以来、納得のいく仏像を一体もつくることができないのだ。あれ以来、慈愛に満ちた仏の姿がまやかしのように感じられるようになってしまった。このことは誰にも打ち明けられなかった。しかし仏像の制作期限は一周忌までと定められている。このような重要な仕事をまやかしですませるわけにはいかない。悩みに悩んだ末、万福はひとつの決断をした。それは藤三娘をモデルとして像を制作するということだった。今の自分にはそれしかできない。それで叱責をうけることになっても仕方がないという結論にたどり着いたのだ。

決断した後は早かった。得意の乾漆の技術を用いて、悩み悲しみながらも強く手を合わせ仏の道を歩もうとする姫の阿修羅像を万感の思いを込めて制作した。完成した像を姫に披露するときは、どんな反応があるか心臓が止まりそうだった。しかし彼女のさばけた性格を知っていたので、密かに予想していた通り、姫は自らに生き写しの像を許してくれた。そればかりか、その前で万福と共に一晩祈りをささげた。夜が明けると落涙しながら万福を抱きしめ「これはわが姿形ばかりか、わが心根をそのまま表したものぞ」と礼を言った。共に仏像を制作していた仏師達も、あまりに当時の常識とは異なる破天荒な万福の作品に驚きながらも、その姿が依頼者とそっくりだったからばかりでなく、その像の放つ激しい精神の力に圧倒されて、口に出して万福を批判する者はいなかった。

最もその像に批判的だったのは万福自身だったかもしれない。万福はこの作品を狂おしいほど愛していた。しかしまたこの像には自分の人間世界や仏道に対する疑念が込められている・・・それもまた否定しがたい事実だった。万福は「今回は奇策によって破滅はまぬがれたが、もう仏師としての自分の人生は終わっている」と明確に認識した。これからどうやって生きていったらよいのか万福には全く見当もつかなかった。ともかくこのまま姫のお抱え仏師として生きていくことはできない。

万福は阿修羅像が安置された興福寺西金堂の完成と共に姫の元を去り、太宰府に行って故郷に帰るチャンスをうかがうことにした。風の便りによると、敏男は藤原家の命で長屋王の暗殺にかかわったそうだ。そして敏男も、指示した藤原四兄弟すべても、長屋王の呪いで疫病にかかって死んだという恐ろしい話も聞いた。姫の悲しみはいかばかりだっただろうか。万福はあの像が少しでも彼女の苦痛をやわらげることができたら・・・と祈ることしかできなかった。

あの苦い想い出の阿修羅像が、1000年以上も経過してから、ダヴィンチのモナ・リザに勝るとも劣らない人類史上最高レベルの傑作として多くの人々に愛でられようとは! 万福が生きていればどう思っただろうか。

------------------------
PS:興福寺の阿修羅像は来年春に上野の国立博物館にやってきます。

http://www.asahi.com/ashura/

この物語は私が阿修羅像を見て、心にわき上がったファンタジーです。もちろん全くのフィクションです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月20日 (土)

ガンバvsマンUの試合に思う

ガンバ大阪とマンUの試合を見て、いろいろ思うところがありました。家内が西野のファンということもあり、私も関西の人間なもので、ガンバの試合はときどきみます。スタジアムを見てちょっと驚いたのは、マンUのファンが圧倒していて、ガンバのファンはほんの少し。みんな貧乏なんでしょう。

おそらくガンバは1点もとれないだろうと予想していました。マグノ・アウヴェスがいた頃の全盛期だと、時差ボケなどのハンデを考えると結構互角にやれたのに・・・という思いが強かったです。マグノに逃げられ、バレーにも逃げられたガンバは、いまやJリーグでも優勝争いに加われないくらいに落ちぶれてしまっています。おまけに二川と佐々木が負傷欠場では、もうどうにもならないでしょう。

最初にレフェリーがマンUのハンドを見逃したときに、ああこの試合はガンバに勝たせてはいけない試合なんだ・・・と気がつきました。ここに来ているファン、まして決勝戦のチケットを買っているファンは、ほとんどマンUのサポーターでしょうから、ガンバが勝ったりしたらしらけてどうにもならないでしょう。マンU2点目のロナウドのヘディングですが、押さえにいった明神を、マンUのDFがつぶしに行っていたので、これはファウルでしょう。

ガンバの決定力のなさは、播戸の1:1で早速証明してくれました。しかし守備を非常に頑張り、球回しはいつもどおりのガンバで、結構試合になっていたのはほめてあげたいです。西野の方針はチームに徹底していて、ある意味今のバルサより、ずっとバルサスタイルのサッカーをやっていました。ダメダメFWのなかでは少し有能な山崎が1点とったのも立派でした。ガンバで残念に思ったのは、ルーニーに対する中沢の守備がちょっと微温的だったということです。ケガさせちゃいけないというお達しがありましたか???

西野もチームの総年俸が5億円というなかでは仕方なく、残念だったと思います。あとせめて5億円あればね

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年12月16日 (火)

カメという生き方

200pxturtle3mカメというのは不思議な生き物です。捕食者に対して一切反撃せず、ひたすら鎧の中に閉じこもり防御するという動物は、他にアルマジロとセンザンコウくらいでしょう。カメとアルマジロは骨と皮膚からできた甲羅、センザンコウは皮膚のみからできた硬い鱗で防御します。

日本版のウィキペディアに大変詳しい情報があるので、そちらも参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A1#.E9.80.B2.E5.8C.96

今まで知られてきた最古のカメの化石は、約2億1千万年前の三畳紀に棲息していたプロガノケリスで、これは上記URLの日本版のウィキペディアにも写真が掲載されていますが、すでに立派な甲羅を持っています。したがって甲羅のない初期の爬虫類から、どのようにして進化してきたのかを知るよすががありませんでした。

しかし今年、中国貴州省の2億2千万年前の地層からオドントケリスというカメの化石が出土し、これは腹側にしか甲羅がないという驚くべき特徴をもっていることがわかりました。可能性はふたつあり、ひとつは古いタイプのカメは腹側にしか甲羅がなかった、もうひとつはもともとは背中にあった甲羅がオドントケリスでは退化したというものです。水性のカメにはうまく泳ぐために背中の甲羅が退化したものが現代にも生きています(スッポンなど)。しかし胚発生のプロセスでは腹側の甲羅が先にできることから、発見者の Li 博士らは、「個体発生は系統発生を繰り返す」という古典的ドグマに基づき、このカメが原始的なカメであると考えています。

考古学で四肢動物を分類する際には、頭蓋骨の目の穴(眼窩)より後ろ側にいくつ穴(正式には側頭窓という)があるかということが重要なポイントになるそうです。穴がないのが無弓類で、最も原始的で現代ではみられないタイプ。ひとつ穴があるのは単弓類で哺乳類の祖先です。私たちも単弓類から進化したわけですが、いまその穴は痕跡的になっています。ふたつ穴があるのは双弓類で、恐竜、ワニなどが相当します。鳥も恐竜から進化したので、その痕跡が残されています。

そこでカメですが、現代のカメも化石のカメも(今回みつかったオドントケリスも含めて)この穴がないので、以前は非常に古い時代に原始的な爬虫類から分岐したと考えられていました。しかし近年の遺伝子の分析によって、カメは鳥やワニと近縁の生物であり(むしろヘビやトカゲとは遠い)、穴はもとはちゃんとふたつあったものが二次的に消滅したものだと考えられるようになりました。しかしそうすると穴が消えかかっているカメ、穴がひとつのカメ、穴がふたつのカメは発掘されていないので、これは重大なミッシングリンクです。このこともカメが非常に古くから生きていた生物であることを示唆しています(それとも超高速で進化したのか?)。ひょっとするとカメの側頭窓が導火線になって、考古学における常識が覆される可能性があるかもしれません。

サッカーにもひたすら防御してPK戦で勝つという作戦がありますし、将棋でもアナグマ囲いで玉を防御し、相手が攻撃で消耗した段階で逃げ出して相手陣に侵入し(入玉という)、お互い攻め手がなくなった段階で点数を計算して(飛車角は5点、小駒は1点)勝つという作戦もあります。将棋の駒は後ろに進めないものが多いので、自分の後ろにいる玉を詰ませることは至難の業なのです。カメは実際この専守防衛作戦で、2億年以上大して形態も変えず生き延びているわけですから脱帽です。

参照:Chun Li et al: An ancestral turtle from late Triassic of southwestern China. Nature 456, 497-501 (2008)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月14日 (日)

バルサ: 雨中の死闘 マドリーを粉砕

Braugrana_2 雨のカンプノウ。マドリーとの激闘の開始です。バルサはFW:アンリ、エトオ、メッシ、中盤:グジョンセン、チャビ、底:ヤヤ、DF:アビダル、プヨール、マルケス、ダニ、GK:バルデス、一方マドリーはFW:ラウル、MF:ドレンテ、イグアイン、スナイデル、底:グティ、ガーゴ、DF:セルヒオ・ラモス、カンナバーロ、メツェルダー、サルガド、GK:カシージャス。怪我人が多い中で、これだけのメンバーをそろえられるのはさすがにマドリーです。

マドリーは守備的にきました。特にメッシを徹底マークしてつぶす作戦で、後ろから蹴りを入れる場面も頻出。ダーティーなサッカーを展開します。バルサは激しく攻めるも白い壁を破れず、もたもたしているうちに、スナイデルのボレーやドレンテの1:1など、カウンターで危機一髪の場面もありましたが、バルデスがなんとかはじき出して得点は許しません。そのうちにスナイデルが故障再発かパランカと交代。パランカも突破力のあるいい選手(後半わかった)ですが、最も危険な選手がいなくなったので一安心です。そのまま前半終了。

後半、グジョンセンに替わって出ていたブスケツをエリア内でサルガドが引きずり倒してPK。こういう試合でのエトオはやばいと思いましたが、やはりPK失敗。カシージャスが一歩右に出た後、左に飛ぶという作戦にひっかかってしまいました。

しかしついに38分、その時はやってきました。チャビのCKをプヨールが頭で落とし、これにエトオが反応して雪辱のゴール。さらにこの後、カウンターからメッシが決めて(厳密にはカンナバーロのオウンゴール)2:0。マドリーを粉砕しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月13日 (土)

バルサ: 明日早朝はクラシコ

Braugranaカンプノウにシャフタールを迎えてのUEFAチャンピオンズリーグですが、完全無欠の消化試合とあってスタンドはガラガラ。バルセロナのファンも現金なもんです。金子が「スタンドで走りながら観戦できる」と言ったのには1点だけあげましょう。きょうは切れずに、ちゃんと最後までなんとかお仕事を完遂。

バルサはFW:フレブ、ボヤン、ペドロ、中盤:ケイタ、バスケス、底:ブスケツ、DF:シウビーニョ、ピケ、カセレス、サンチェス、GK:ジョルケラ という2軍モード。これで失礼ながらシャフタールとは互角か?

やってみると中盤、前も迫力ありませんが、やはり後ろは問題ありで、CKとカウンターから3点とられました。得点はケイタとのワンツーからシウビーニョの強烈なシュートと、後半ペドロに替わって出場のグジョンセンのゴール前への浮き球にブスケツが飛び出し、きれいなシュートの2点でした。今期初めてのカンプノウでの敗戦。やれやれ。

バスケスはおそらく最後のカンプノウ。誰かJリーグで採用するチームはないのか?どのチームでもトップ下で使える選手だと思いますが。

明日はいよいよクラシコです。しかしレアル・マドリーは故障者が続出。今回に限っては、勝って当たり前といういやなプレッシャーがバルサにかかっています。アンリ、エトオ、メッシで何点とるのか・・・という発想になるのはいたしかたありません。

=====

生中継スペシャル!伝統の一戦“クラシコ”
WOWOW191ch

バルセロナ vs レアル・マドリード@カンプノウ
12月14日(日)午前5:45 ・・・日本時間
ゲスト:谷口博之
川崎フロンターレ/北京五輪代表MF)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月11日 (木)

サラとミーナ45: カーテン登り

ImgaImgb 寒くなってきました(今日は異常に暖かかったですが)。サラは寒さに弱いのですが、今年はワクチンの効果もあってそこそこ好調のようです。ミーナの方は寒さなどどこ吹く風で、元気いっぱいです。ちょっと元気が良すぎて、この巨体でカーテンをよじ登るのが困ります。一発でカーテン破壊です。なぜかサラはカーテン登りをやりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 9日 (火)

メラノーマと癌幹細胞説

800pxwb032021 2008年12月4日号の「Nature」誌の表紙は、癌研究者にとって衝撃的なものだったでしょう。

http://www.nature.com/nature/journal/v456/n7222/

一枚のシャーレ中の顕微鏡一視野のなかにあるメラノーマ(悪性黒色腫)細胞のいくつかがつくった癌の写真が掲載されています。メラノーマというのはほくろの癌といわれる通常黒い色の皮膚癌で、転移しやすい悪性の性質をもつとされています。写真はウィキペディアからひろってきました。

癌を作る能力がある細胞かどうかは、いままでその細胞を免疫力をほとんど失った特殊なマウスに移植して、癌が出来るかどうかで判定していました。それによれば、メラノーマも含めてマウスに癌をつくることが出来る細胞は人の癌組織の細胞のうち 0.1-0.0001% にすぎないとされていました。このことから癌組織の中に特殊な癌幹細胞というものがあり、この細胞が癌を大きくしたり、転移した場所で増殖する上で必須であるという考え方が流行していました。この考え方に基づけば、癌幹細胞さえやっつければ癌を退治できるということになります。

Quintana 博士らは、癌細胞の判定に用いるマウスをより完全に免疫能を失ったものに替えると、ヒトの癌細胞をマウスに移植した場合に癌ができる確率が飛躍的に増加し、メラノーマの場合だと25%の細胞が癌をつくる能力を持っていることを証明しました。したがって上記の表紙のように、顕微鏡一視野内の細胞の多くが癌をつくるということになりました。

これで癌幹細胞説は大きなダメージを受けました。ただ注意しないといけないのは、実際にヒト生体内にある癌組織の25%の細胞が、癌の拡大や転移に関係しているわけではあり得ません。患者の癌細胞は、免疫力のないマウスの環境とは全く異なる環境におかれているからです。このような制限された環境では、一部の選別された細胞のみが増殖や転移可能であるということは当然考えられ、この論文の著者もそれは認めています。それにしても、このような細胞を、正常組織の幹細胞とのアナロジーでとらえるというのはおかしな話だと思います。

参照: E. Quintana et al., Efficient tumor formation by single human melanoma cells. Nature 456, 593-598 (2008)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年12月 7日 (日)

バルサ: バレンシアに何もさせず

Braugranaカンプノウに強豪バレンシアを迎えて、バルサとしても重要な一戦です。あらら? ユニホームの胸の真ん中に大きなマークがはいっています。あとで司会の説明で、国連とナイキの共同プロジェクトのロゴだそうです。

先週のエトオの5枚目のカードは故意だったという説もあります。来週のクラシコを控えてそういううわさも出ていました。ともかく今日はエトオはスタンド観戦で、FWはアンリ・メッシ・フレブです。中盤はグジョンセンとチャビ。底はヤヤ。DFは復活したアビダルが左、右はダニ、センターはプヨールとマルケスです。

プヨールとマルケスがオフサイドトラップでビジャを完封。飛び出しを許さない、いい感じです。まず19分センターライン手前のヤヤから、ゴール前に出て行くアンリに絶妙のロングパスが出てきれいなゴール。意外な速攻だったので、久保田と信藤もだれがパス出したか分からず放送無し。バレンシアのDFもそうですが、放送陣も集中力欠けてますねえ。

右はダニがどうせ上がるので、フレブは左にいることも多く、そのフリーのフレブにダニからのクロスがきて、中にはいっていくアンリに流してシュート。これが決まりました。エトオがいないので、アンリは自由度が増して非常にやりやすい感じでした。1点目も2点目もバレンシアの守備は甘いですね。メッシに注意しすぎていたのかもしれません。

後半の最初の得点はツキです。開始1分、どうみても戻りオフサイドでみんな棒立ちになったシーンなのですが、実はパス出したのがホアキンでオフサイドは成立せず、みんな錯覚にとらわれていたのです。私も何が何だかわかりませんでした。ともかくダニに球が渡って、するする右から進入してシュート。これがすんなりはいってしまいました。

さらにフレブと替わったボヤンが右最深部につっこみ、中央に戻してアンリが軽く合わせてゴール。これでハットトリックです。こんなにうまくいっていいものかという感じです。やはりダニの運動量はすごいですね。バルサにもすっかりとけ込んで、なくてはならないピースになっています。あんなに前の方にいるのに、意外に裏もとられにくいというのが不思議。バレンシアもバルサの右サイド深部には思ったほど進入できませんでした。結局4:0の勝利で、来週のクラシコにもいいはずみがつきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 6日 (土)

西島三重子: 第28回南青山マンダラライヴ

西島三重子さん(みーちゃん)のライヴです。
ちょっと早く着いてしまいました。でもお蔭でみろく師匠と少しお話できて幸いでした。ちょうど雨も上がって、マンダラライヴは立ち見もかなり出るくらいの大盛況でした。

1.想い出話

2.冬の鳥

3.Dear My Friend

4.くわえ煙草

5.雪の華

6.池上線

ここでヘルメットをかぶった人が3人もはいってきてびっくり。気分の悪くなったお客さんがいて救急車が来たそうで、彼らは救助隊でした。「仮縫い」をリクエストした方だそうで、本当にお気の毒です(意識はあるみたいだったので、大丈夫だと思いました)。池上線のすぐあとにやる予定だったみたいですが、このアクシデントで仮縫いはアンコールナンバーに変更となったようです。

前半では、久しぶりに「冬の鳥」を聴いて、あの「シルエット」というアルバムの極北の雰囲気がよみがえってきました。


break

7.海鳴り

8.プレゼント

9.神在月

10.百万本のバラ

11.ラストタンゴは一度だけ

12.夕闇の二人

13.おひさまのたね

14.One O'clock Rhapsody

アンコール1.仮縫い

アンコール2.やさしくなれる季節だから

「海鳴り」と「One O'clock Rhapsody」は私のリクエスト。取り上げていただいて感激です。「海鳴り」は「寝物語」というアルバムに収録されていますが、みーちゃんのシンガーとしてのすごさが余すところなく表現されているすばらしい曲だと思います。作詞は今日のライヴでパーカッション担当の平野肇さんで、これもみーちゃんにぴったりはまっていますねえ。あまりライヴでも取り上げられることがなかったのが残念でしたが、今日はついに願いが届きました。何人かの方が私のところに来て、いいリクエストだったねえと感想をくださってびっくりしました。「One O'clock Rhapsody」は昔のライブでは結構やっていました。「Bye-Bye」というアルバムのラストナンバーです。ゆったりと聴けるいいバラードですねえ。

「海鳴り」の試聴とダウンロード
http://www.ongen.net/search_detail_album/album_id/al0000005238/

「One o'clock rhapsody」の試聴と購入
http://www.7andy.jp/cd/detail/-/accd/C0984804

みろく師匠作詞の曲の中では、最後の「やさしくなれる季節だから」というのがお気に入りです。私的にはこのライヴのお客になっているときが一番やさしくなれる季節かも。

次回ライヴは4月1日にスイートベイジルだそうです。新アルバム発売記念とのことですが、いくつになっても次から次へとCDが発売されるのは驚異です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 5日 (金)

山小屋番人によるエッセイ集

1山行を趣味としなくなってから久しくなりますが、ときどき山の本などを手に取ると、思わずひきこまれてしまいます。そもそも中学生くらいの時に、当時のブルーガイドなどを見て、「冬になると毎日のように熊が山小屋のドアをノックするので、開けてエサをやっていた」(雲の平小屋の話)とか、「梅雨時に歩いていると、上からどんどんヒルが落ちてきて、スパッツの中までもぐりこんで吸血されてしまう」(南アルプス南部の話)などの記述に引き込まれてしまって、それが山に関心を持つひとつのきっかけになったような気がします。

山小屋のおやじをやろうというのは、単に山が好きであるとか、都会が嫌いであるとかじゃとてもつとまらない、すごい決断だと思います。重い荷物を担ぎ上げる体力がまず必要ですし、接客や経営の才能も必要です。ただ冬期は閉める小屋が多いので、半年くらいはかなり自由な時間ができるというメリットはあるようです。そのせいか文才のある人も多く、この本には55人の小屋番諸氏が思い思いにエッセイを書いています。

丹沢は学生時代ホームグラウンドでしたが、鍋割山荘に泊まったことがないのは残念でした。ここの小屋番の草野さんは一回100キロの荷揚げ(ボッカ)をやっていたそうでたまげました。100キロって私では1ミリも動かせないでしょう。だいたい5百トンのボッカをやって、山小屋そのものの建築資材をゼロからひとりで担ぎ上げたというのですから超人です。しかし同じ丹沢尊仏山荘の花立氏によれば、丹沢は今笹が枯れ、ブナが立ち枯れるなど大きな危機に直面しているようです。ちょっと心配になりました。

かなり多くの著者がトイレについて語っています。これが山小屋の経営者としては大変な問題だと言うことがよく分かります。八ヶ岳の黒百合ヒュッテなどでは太陽光・風力発電で水を再処理して循環型の水洗トイレを実現しているそうで、すばらしい進歩だと思いました。富士山が世界遺産に登録されなかったのは、山小屋のトイレが垂れ流しだったことが最大の原因だったそうで、これは私たちにとって恥ずかしいことでもあります。

女性の小屋番の方が結構多いのにも驚きました。南アルプスの奥地にある両俣小屋の星さんなどは、30年もひとりで切り盛りされているそうで頭が下がります。彼女の記述の中によく訪れる外国人の話があって、「日本人はせっかく山に来ても、早く寝て早く起きてすぐ出て行ってしまうのが不思議でしょうがない。夜遅くまでお酒やお茶を飲みながらいろんな話をしたり、朝もゆっくりして山を楽しむのがいいのではないか」という意見ですが、それも一理あると思いました。日本人は山に来ると、ともかくピークを目指したり、縦走を急いだりする場合がほとんどですが、それはちょっと異常かもしれないなと考えさせられました。

「小屋番365日」 山と渓谷社 (2008) ¥1,600

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 3日 (水)

バルサ: サンチェス・ピスファンに静かな夜をプレゼント

Braugranaリーガ年末のシリーズで越さなければならない第一の山、セビージャ戦がやってきました。場所はフエラ、サンチェス・ピスファンです。FW:アンリ・エトオ・メッシ、MF:ケイタ・チャビ、底はヤヤ、DFはプヨール、マルケス、ピケ、ダニです。

ヤヤは高速なパス回しで突破しようなどとは考えません。ともかくずるずる自力で相手を抜いて、前があいたところでスルーパスを狙うというプレイスタイルです。バルサのアンリは小技を使って、長時間グチャグチャ球を持ちチャンスを伺うというというスタイル(ポストプレーともいう)に自らの活路を見いだしています。ケイタはパサーですが、丁寧なパスが特徴で、短い高速パスの連続での突破などは狙いません。

そういうわけですからチャビも考えて、自分が彼らに合わせることにしたようです。球をすぐにヤヤに渡して自分は守備に回り、ヤヤにゲームメーカーをやらせる場合も多いように思いました。攻撃に参加するときは、一瞬の隙を狙っての最前線への中距離パスを常に頭に置くということにしているようです。

まず最初の得点はラッキーなこぼれ球からでした。チャビが外に大きく出そうとしたパスがDFに当たって跳ね返った球に、エトオが素早く反応して右のアウトサイドで合わせてゴール。エトオの反射神経の勝利でした。セビージャも決定的チャンスが何度かありましたが、ルイス・ファビアーノもカヌーテもシュートをミス。バルサにとってはラッキーでした。

後半は結構バルサのペースでしたが、終盤まで1:0のままで推移しました。しかしついにチャビのヘディングによる長いパスにメッシが反応。そのまま抜けだしゴール。さらに終了直前、アンリに替わって出たフレブのスルーパスにメッシが反応。GKも振り切って無人のゴールにたたき込みました。一発のパスで、エトオやメッシの反射神経にかけるという新しいバルサのスタイルができるかも知れません。素晴らしいゲームでした。

PS:スタンドからアルプス一万尺の合唱が聞こえたのにはびっくりしました。この曲の原曲はアメリカ独立戦争時に歌われたアメリカの民謡と思いきや、なんとそのまた原曲はヨーロッパの曲だそうで、ひょっとしてルーツはアンダルシアにあるのでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 2日 (火)

バルサ: 消化試合で安全運転

Braugrana_2土日無しでずっと仕事してる感じでサッカーもおざなりでしたが、やっと録画でスポルティング・リスボン戦をみました。場所はリスボンのエスタディオ・ジョゼ・アルバラーデです。チャンピオンズリーグとはいえ、バルサもスポルティング・リスボンも決勝リーグ進出を決めているので、今回は練習試合のようなものでしょう。

FW:フレブ、アンリ、メッシ、中盤:グジョンセン、チャビ、底:ブスケツ、DF:カセレス、マルケス、ピケ、ダニです。こんな試合にチャビ、メッシやダニが出ている方がおかしいのです。ペップも本当は出したくなかったんではないでしょうか。リスボンも安全第一なので、バルサもやりやすい試合ではあります。

まずメッシが右サイドを突破して、グラウンダーで中央に戻しアンリがゴール。次にCKからグジョンセンが背中でゴール前に流し、これをピケが決めました。さらに相手のハンドからFK。これをダニがクイックリスタートでメッシに流し、相手が対応しないうちにさっさとゴール。

しかしバルサも気合いははいってないので、FKから1点返され、さらにマルケスのバックヘッドのクリアが相手FWの前に転がってリエジソンにもう1点決められました。これで3:2に追い上げられハーフタイム。

後半は相手の目の覚めるようなオウンゴールで得点。さらにアンリに替わって出ていたボヤンがGKに抱きつかれPK(GKは退場)。これを自分で決めてやっと今期初ゴール。めでたしめでたしでした。

不可解なのは倉敷・金子が勝手に切れまくっていたこと。試合中ずっとつまらん試合とほえまくっていたのはなぜ??? こういうときこそお得意の蘊蓄を茶飲み話風にきかせてくれればいいのに、何なのでしょうか??? いつも反省材料満載のコンビですが、今回は特段の反省が必要だと思いますよ。こんな解説を視聴者が望んでいるとでも思っているのでしょうか???

さてセビージャ戦もこれから録画をみて、そのうち遅まきながらレポートします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »