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2008年11月 3日 (月)

バイオリニスト

160pxviolin_vl100初めてのリサイタルまであと1ヶ月。
曲目はもう1年も前から決まっていて、十分に練習も積んだので、あとは2-3回パートナーの友理とリハーサルを重ねれば万全のはずだった。

ところが最近になって問題が発生した。私のバイオリンの音がおかしいのだ。ストラディバリというわけにはいかないが19世紀のイタリアの楽器で、3000万円近い金額を支払った。支払ったと言ってももちろん若輩の私に支払えるわけもなく、さして金持ちとはいえない親がローンを組んで購入してくれたものだ。私はそのバイオリンを愛していた。つらいときも苦しいときも、彼は変わりなく私を励ましてくれた。私がしゃきっと気合いをいれて弾くと、必ず素晴らしい音でほほえみかけてくれた。

異変は高音部におきた。何か音が細めに感じられた。弓の毛を交換してみたが、改善はみられなかった。ピアノ伴奏してくれる予定の友里に家まで来てもらって合わせてみた。友里に意見を求めてみた。

「友里 ちょっと音がおかしくない」
「最近忙しくて、ちょっと疲れてるかも。ごめん」
「そうじゃないのよ。あなたじゃなくて私の音」
「なんだ びっくりした。恭子は大丈夫よ。いつもと同じ。でももう少し練習した方がいいところもあるわね」
「わかってる。リハまでには頑張るから」
「じゃあ今日は帰るわね。頑張って」

友里は帰った。彼女の口から「練習不足だ」とか「頑張って」とかという言葉が出たのは初めてだったので、ちょっとドキッとした。彼女は穏やかな人なので、遠回しに私の音がおかしいことを指摘してくれたのだろうか?

数日猛練習したが、音はさらに悪くなったような気がした。音がカサカサしているようでふくらみがない。こんな音だと聴衆は苦痛を感じるのではないかと思うくらいだ。リサイタルは迫っているが、思い切って修理屋さんに相談してみることにした。

「最近ちょっと音がおかしいみたいなんですけど」
「うーん これはかなりくたびれてるね。調整だけじゃなくて、ニスとか板の強度なんかもなんとかしないといけないかもな」
「ええー。リサイタルがせまってるんですよ。すぐにどうにかなりませんか」私は泣きそうになって頼み込んだ。「まあ やれるだけのことは1週間ほどでやってみましょう」ということで、とりあえず修理屋さんにしばらく預けることになった。

この大事な時に一週間のロスは非常に痛いが仕方がない。他のバイオリンをさわるのは、感覚が狂ってしまうのが怖かった。家に閉じこもっているとストレスで気が変になりそうだった。友里は歌の伴奏なども頼まれていて忙しそうだったし、子供の頃から練習に明け暮れていたせいか、私にはこんなときに頼れる親友がいない。

つい親に「もうちょっとしっかりしたバイオリンだったらなあ」などと、言ってはいけないことまで口に出してしまった。これでますます落ち込んだ。親だけじゃなく、修理から返ってきた彼にもそっぽをむかれそうだった。

やっと1週間が過ぎて、修理屋さんのところに楽器を受け取りにでかけた。
「すっかり元気になったよ。これでいけるでしょう」という修理屋さんの言葉に励まされて、おそるおそる音を出してみた。
ダメだった。全く改善されていない。

「だめじゃない。全然直ってないわ」
「ええー そんなことありませんよ 結構つやのある音になってますよ」

しばらくあれこれ押し問答になったが、結局

「だめよ いいわ わからないんだったらもう頼まない よそに行きます」

私は泣きべそをかきながらそれだけ言うと、楽器をひったくるように取り戻した。
店を出るときに「信用できないんなら もうあんたのものはみてやんないよ」という声が背中から聞こえてきた。

もう音のことなど気にせず、夜も昼も一心不乱に練習した。本番1週間前のリハの日がやってきた。友里とみっちり全曲をさらった。でもどの曲もやはり納得のいく音は出せなかった。終わった後

「やっぱりダメだわ 音がヘン」
「そんなことないわよ。この間よりきちんとできてていい感じよ」

そのとき私の中で何かが切れた。ぐるぐるとめまいがした。

「うそ」と言って私は彼女に泣きながら抱きついて押し倒した。
「お願いだから 本当のことを言って。私ってダメなんでしょう。こんな音だととても人前で弾けないんでしょう いやだー ギャー」

と私は叫んで失神した。

気がつくと救急車の中で、友里の顔が近くに見えた。母もかけつけてくれた。内科・精神科・神経内科などをたらいまわしにされたようだったが、何を質問されたかよく覚えていない。結局1日入院して様子をみることになった。ストレスで血圧が上がったのではないかという話を医師が母にしているのが聞こえた。

私はもともと血圧が高い方ではなかった。むしろ朝など低血圧でフラフラしているぐらいだ。ひょっとするとこのまま発狂して、精神病院にいれられてしまうのではないかという恐怖に襲われた。でもリハーサルですっかり疲れていたせいか、その晩はぐっすりと眠った。

翌朝神経内科の先生がやってきて、「ちょっと立ってみて」と私をベッドの脇に立たせた。さらに「後ろを向いてください」と言うので、その通り先生におしりをむけて立った。
先生はハモニカを吹いて、「どっちの方向から聞こえましたか 指さしてください」と質問した。私は左手で左後ろ45度くらいを指さした。先生は「はい わかりました いいですよ。では11時に耳鼻咽喉科の方に行ってください」と指示した。

耳鼻咽喉科では、時間をかけていろいろな音波をヘッドフォンで聴かされたり、骨伝導のテストをされたりした。そしてくだった診断は・・・

「あなたは右耳の突発性難聴です」というものだった。「突発性難聴の場合、特定の波長が聞こえなくなったり、音質が変わったりするのです。めまいや雑音が聞こえたりもよくある症状です。あなたの場合発症してからかなり時間がたっているようなので、残念ながらもう治療はかなり困難です。それでも可能性はゼロではないので、ステロイドの点滴やってみますか?」
「それってずっと入院してないといけないのですか」
「いや通院でもいいですよ」

私は全く予想していなかった事態に動転したが、リサイタルが可能なら、ともかく医者がやってみようということを拒否する理由はないので、言われた通りの治療をしてもらうことにした。夜に見舞いに来てくれた父母にまず誤り、友里と修理屋さんには電話をかけて事情を説明して謝った。

家に帰るとまず「彼」を抱きしめて謝った。彼が私を許してくれたかどうかはわからなかったが、ともかく練習を再開した。疲労と精神的ショックでボロボロだったが、リサイタルは予定通り開催にこぎ着けた。本番はミスが多くて技術的にダメだったが、気分だけは晴れ晴れとしていて気持ちよく演奏できた。聴衆の拍手もいただいた。こんな大馬鹿者の私の演奏にも拍手がいただけることに感激して、涙が止まらなかった。友里も暖かい目で私を祝福してくれた。会場には両親の笑顔があった。

すべて終わって楽屋で一休みしていると、修理屋さんが花束を持ってきてくれた。
「ついむかっ腹が立って、俺も何か口走ったようだが勘弁してくれ。今日はいい音だったよ。本当に」と言って、私を抱きしめてくれた。

「音楽家なのに難聴だなんて、ベートーヴェンと同じじゃない」と友里が笑いながら言った。
「笑い事じゃないわよ。深刻な問題よ」
「大丈夫 左耳は正常なんでしょう。右耳が突難になってから、恭子の演奏がダメになったということはないから、私を信じて」

真顔になって私の目をみつめながらそういう有里に 
「信じる」と私も友里の目をまっすぐ見て言った。

それまで私は人の目を見て話をする習慣がなかったので、自分の行為に少しびっくりした。これからも音楽家として生きていくべきだと、その時私は心に決めた。

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