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2007年10月25日 (木)

2足歩行

Photo 哺乳類で2足歩行をするのはヒトとカンガルーくらいなものですが、ヒトの場合非常に近縁なチンパンジー(図)やオランウータンも4足歩行なので、いったいどうしてこのような変化が起きたのかというのは、進化の大きな疑問の一つです。カンガルーは2足歩行の方が、子供がポケットから落ちにくくていいというのはわかりますが。

昔習ったのは、森から草原に出てきたので、手で木につかまって移動する必要がなくなったとか、道具を使うようになったためとかということでしたが、最近の研究でヒトは草原ではなく、森で進化したことになりつつあり、4足歩行でも手で道具を使うには特に支障ないわけで(チンパンジーは道具を使います)、わけが分からなくなっています。

この分野のお偉方であるケント大学のラヴジョイ博士は、類人猿の子供の死の原因は、多くが子育ての失敗にあることから、2足歩行は母親を育児に集中専念させるために発達したという説をとなえています。

類人猿は集団生活を送りますが、ヒトは集団生活をやめて、生活を親子の家族単位としました。父親はエサを集めてメスと子供に供給するようにして、母親を育児に集中させ、子供に十分なエサを供給するような生活形態を選んだとのことです。エサを運ぶには手が空いていること、すなわち2足歩行が必要です。これがラヴジョイ説です。

すなわちオスとメスが分業して子育てをするのが、子孫をたくさん作る上で効率が良かったので、その後ヒトは世にはびこることができたというわけです。家族の成立と2足歩行を結びつけたところがこの説のミソです。

ただいよいよ草原に出て農耕などをはじめてみると、猛獣への対処、共同作業の必要性、住居の確保などの問題から再び集団生活を始めざるを得ず、いったん家族単位へ舵を切った脳にとってはストレスを感じるのは仕方なかったのでしょう。この状況は現代でも変わっていません。この観点から見ると、犬を利用して家族単位でやる牧畜というのは、人間のあり方として極めて適していると思われます。もっともモンゴルなどでも砂漠化が進んで牧畜も風前の灯のようですが。

現代の日本は、グローバル化で給料は減る、競争社会で女も男も忙しい、国庫は火の車で託児所や保育園を整備する余裕がない、社会保障費や税金は上がるなど子孫を作る上での障害が多すぎます。幸いエサが確保できないほどまだ貧困ではないので、公立の託児所くらいはきちんと整備しないと、次世代への展望が開けないでしょう。将来税金を支払ってくれるヒトが増えれば公務員が増えても大丈夫なのです。その上で、託児所育ちの子供にどういう問題が発生するかを注意深く観察し、次の対策を考える必要があります。

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