2008年7月 5日 (土)

西荻七夕コンサート

200803193 きょうは遙か電車を乗り継ぎ、西荻窪までみーちゃん(+他2人)のコンサートに行ってきました。5分前くらいに到着しましたが、ホールはほぼ満員。

曲順

1.水色の季節の風 ・・・ 今日はコスチュームが水色だから?

2.池上線 ・・・ 中沢厚子さんや本田路津子さんのファンもこの曲は知っている。

3.千登勢橋 ・・・ いつものごとく3曲目くらいから声につやが出ていい感じ。

4.エピローグ ・・・ 私的に今日の白眉 最高でした。 東芝EMI時代の曲ですが、東芝EMIをやめてからの曲(5.6.7.)には私的には全く浸れず、大いに不満アリです。まあターゲットが変わってしまったのでしょうがないと言えばしょうがない。

5.ボンクラージュ ・・・ うーん

6.プレゼント ・・・ 浸れはしないが、すごい名曲であることだけはわかる。

7.おひさまのたね ・・・ 6に同じ。

おしゃべりも絶好調でした。特に「ママさんコーラス」というべきところ「おばさんコーラス」とのたまったのは受けました。7月27日は南青山マンダラでライヴ。テイチク時代の曲が中心というということで、期待大です。

写真はみーちゃんのHP↓ から転載しました。みーちゃんが飼っている野良猫「ひなた」です。

http://www.aoistudio.co.jp/SP/nishijima/index.html

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2008年7月 4日 (金)

ロニー イン ジャパン

Summerch01 soccersoccersoccerロナウジーニョが来日して、子供達とプレイしたそうです。この子供達は本当にラッキーですねheart02

写真はマルクさんのサイト

http://marcfcb11.blog21.fc2.com/

から転載しました。

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2008年7月 3日 (木)

ナメクジウオと脊索動物の進化

Photo_2ナメクジウオはウオという名がついていますが魚類ではなく、魚類の祖先の生きた化石と考えられている生物です。古生代カンブリア紀には、ナメクジウオとよく似たピカイアという化石生物が生きていたので、極めつきの古い時代(5億年以上前)からあまり姿をかえずに生きてきた生物です。最近の研究では、カンブリア紀よりもさらに古く、化石も非常に少ないエディアカラ紀に、似たような生物がすでに生きていた可能性も指摘されています。

昔は三浦半島の油壺あたりにもいたようですが、いまや絶滅危惧種です。しかし水族館では結構出会えるようです(グーグルなどでも簡単に探せます)。私も水族館でしか見たことがありません。ナメクジという名ですが、写真にみられるような、全身半透明でイノセントな感じの美しい生物です。

Photo_3 今年になってこのナメクジウオの全遺伝子配列が Putnam 博士らにより解明され(1)、脊索動物の進化の系譜に新しい知見が追加されました(系統図参照)。これによると「固着生活を送っていたホヤの祖先が、遊泳性の魚類に進化する途中でナメクジウオが分岐した」といういままでの考えは誤りで、「遊泳生活を送っていたナメクジウオの祖先が、魚類に進化する途中で、ホヤが固着生活をはじめて分岐した」という考え方が正しいということになりました。

1) Putman et al: The amphioxus genome and the evolution of the chordate karyotype. Nature 453, pp.1064-1071 (2008)

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2008年7月 1日 (火)

北総サバンナそしてユーロ2008

Img_1677 北総にはまだまだこのような未開発の空き地が散在します。写真では十分表現できていませんが、今ここはヒメジョオンの広大なお花畑です。草だけでなく灌木も生えていて、まるで草陰からチータが顔を出すかも知れないサバンナみたいな状況になっています。

Img_1680 春には揚げひばりが遙か空の彼方まで舞い上がり、夏にはツバメやイワツバメがさかんに餌をさがしています。この土地はURのものなので、開発の期限が定められており、あと2-3年のうちに建物が建ってしまうのでしょう。市が購入して空き地として保存して欲しいと思いますが、そういう発想は今の行政には全くありません。万一買い上げても、何か建物を建てるか、最良でも公園にしなければならないという強迫観念があるようです。人工的な公園で生きられる鳥はとても限られています。

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さてユーロですが、一応スペインは応援していても私はスペイン人じゃないし、そんなに熱くなりはしませんでしたが、それでもスペインの優勝には感動しました。決勝はラームがGKにぶつかると思って遠慮しましたね。トーレスはプレミアで腕(脚)を磨いたと思います。スペインは中盤のテクニシャン達がみんな元気で違いをみせました。バルサの3選手、チャビ・イニエスタ・プヨールもみんな頑張ってました。チャビはバルサだと守備に回る時間が多いのですが、代表では攻撃の中心で生き生きと動いている感じがします。バルサも3トップにこだわる必要はないですね。ただ1点ビジャが故障したのは本当に残念でした。

追記:チャビがトーナメントのMVPに選出されたというニュースが入ってきました。おめでとう チャビ! 彼について不思議なことがひとつあります。それはいくら試合に出まくっても疲労するだけで、決して肉離れなどはおこさないという特殊な才能です。遺伝子なのか、走り方がいいのか?そういえば昔読売巨人軍にも鹿取投手っていうのがいましたっけ。

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2008年6月29日 (日)

サンドロ・ルセー

Braugranaいよいよ来週日曜日(7月6日)にバルサ役員会の不信任投票が迫ってきました。私もカンプノウまで投票に行きたいのはやまやまなんですが、いまやエクストラのガソリン代だけでも数万円というご時世なので、とても旅行資金がありません。残念無念です。

ブラウグラナのコアニュース情報によると、サンドロ・ルセーがもし会長選挙になれば立候補することを表明したそうですね。私はルセーは裏交渉に才能があって、暴露本なども書いているそうですから(読んでいませんが)、組織のトップに立つにはふさわしくない人物のような気がします。今回の不信任投票の中心となったジラルトに立候補してほしかったですね。彼でなくても、もっとイノセントな感じの人間がトップに立って、ルセーは裏で動いた方がお似合いでしょう。

ルセーが言っている現執行部の不安定さは、多分モウリーニョ派とペップ派で監督選考のときに厳しい対立があったことが尾をひいていることと、ロナウジーニョを残すかどうかでも厳しい対立があると思われます。「切れ」と言っている筆頭はペップだと思いますが、その人物を監督として残すと言っているのは、ルセーは自分が悪者にならないような作戦で老獪ですね。

いずれにしても現執行部の商売の拙劣さは目に余りますし、とっくにチームをやめたクライフにコントロールされているような状態は正常とはいえません。

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2008年6月27日 (金)

カラスは復讐を果たした

260pxcorvus_corax_28fws29 教会では人々が暗いうちから忙しく立ち働いていた。
ツリーに様々なデコレーションやイルミネーションが、次々と飾られていく。
ドイツから到着したばかりの鐘が最後に鐘楼にとりつけられた。
これでクリスマス・イヴのための準備がすべて完成だ。

教会の美しい鐘の音が朝を告げた。
時を告げるのはカトリック教会のサービスだが、それはまた教会が人々の生活を支配していることのデモンストレーションでもある。

私はその鐘楼の屋根にいた。
やがて母が飛んできて私を誘う。
「さあ ごはんよ 行きましょう」

市役所がゴミを収集にくるのは10時の鐘が鳴ってからだ。
その30分くらい前が私たちの勝負の時だ。
母はいつも器用に嘴で残飯の袋を破ってくれる。
私は母と共に食べられそうなものを探してくちばしでくわえる。
そして安全な場所に飛び去るというのが私たちの毎日だった。

その日もいつものようにえさを漁っていると、何か木陰で動く気配がした。
そして見慣れない棒のようなものが見えたと思った次の瞬間、その棒が母の脳天に振り下ろされ、母は倒れた。私は大声で鳴いて飛び立った。

上空からみると、棒を持った人間が母を何度もたたき、最後は足で踏みつけて内臓が飛び出した。母は内臓が出たままつまみ上げられ、ゴミ袋に入れられた。私は動転したが、その人間の顔をしっかりと頭に焼き付け、必ずいつか復讐をしてやると心に決めた。

それからまもなく野積みだったゴミ捨て場に金網の囲いが設置され、屋根もつけられた。私はエサ場を失い飢えた。遠くのゴミ捨て場までいってみたが、そこはもう他のカラスのなわばりで、攻撃され深傷を負ってしまった。そして母の復讐を果たせないまま力尽きてしまった。

・・・・・

私は物心ついたときには施設に居た。入り口の扉の前に、手紙もなく置き去りにされていたそうだ。私には人間の父母の記憶はない。そのかわり、教会の鐘楼の屋根から見下ろした美しい景色、ゴミ捨て場、振り下ろされる棒、無惨なカラスの死(そしてそのカラスが私の母であるという記憶)、殺した男の顔が次々と浮かんでくる夢を毎日のように見た。その夢をみると、全身から血が噴き出してくるような怒りで目が覚めるのだ。

そして会社勤めをするようになって数年後、近郊で住居さがしをしているときに、その教会、そのゴミ捨て場のある街に遭遇した。一も二もなく、私はその街のアパートに住居を定めた。

しばらくすると、私の頭に焼き付いている顔の男は街の自治会長になっていることがわかった。年月を経て顔に皺が刻まれていたが、私にはすぐわかった。

私は復讐する前に、彼がどのような人物であるのか知りたくなって、しばらく様子を見ることにした。彼の家はゴミ捨て場のすぐ近くにあり、いつも窓のカーテンの隙間からゴミ捨て場を監視していた。正規の時間外に捨てる人間がいると、ダメだしの注意書きをその人の家のポストに投げ込んだり、不燃物と可燃物を間違えると、そのゴミを出した人の家の玄関まで返しに行ったりするのが日課のようだった。

ある日その自治会長が、袋を破ってエサを漁る野良猫をステッキで撲殺するところを目撃した。はっきりと識別はできなかったが、古いもののようで、母もそのステッキで殺したのかもしれない。

自治会長は週に何日か近所のコンビニに勤めていた。店員としては高齢でもあり、仕事の手際が悪くてよく店長に叱責されていた。しかし自治会総会の時の彼の顔は見違えるように生気に満ち、まるで街の守護神のように輝いていた。

決行の時は偶然やってきた。台風の日の朝、土砂降りでも彼はゴミ捨て場を点検にやってきていた。どうやら手数料を支払ったという証拠のラベルが貼っていない粗大ゴミがあったようで、ステッキを置いて、ラベルが本当に貼ってないかどうか仔細に点検をはじめた。この瞬間を逃してはならない。私は用意した軍手をはめて男のステッキをとり、思い切り後頭部に振り下ろした。倒れてからさらに2-3発頭を殴打し、ステッキを捨てて立ち去った。

少し残念だったのは、あのステッキが母を殺したものと同じものかどうか分からなかったことだ。できればそのステッキで復讐を果たしたかった。完璧な復讐ではなかった。そして完璧な犯罪でもなかった。近所のマンションの上層階から一部始終を見られていたのだ。土砂降りでもゴミ捨て場を監視している人間がもうひとり居たとは不覚だった。私は逮捕された。

警察にも、検事にも、弁護士にも、裁判官にも、私はきちんと自治会長を殺害した理由を述べた。もちろん私の言葉を誰も信じるはずもない。結局、私は精神病院に強制的に入院させられることになった。

私は今病院のベッドの上から、鉄格子越しに青空をみている。これまでの私の人生のなかで、こんなに美しい空をみるのは初めてだ。いや空なんか見たこともなかったような気がする。神に選ばれて生を受けるものもいれば、私のように悪魔の采配で生を受けるものもいる。しかし今の私はその悪魔からも解放され、意味もなく青空を眺めている。意味のない人生はのびのびと自由だ。もう私は生まれ変わることもないだろう。

あの世で母と静かに暮らすのだ。

・・・・・

刑事のひとり守屋は、あの犯人が精神病者であるとは信じられなかった。彼にとって裁判所の決定はとても納得できるものではなかった。取り調べの際、最初から最後まで被疑者のしゃべることはすべて筋が通っていた。ただひとつ、あの動機についての供述だけを除いては。

裁判が終わってから、ある日ふと思いついて、守屋は殺人の目撃者の部屋を尋ね「例のゴミ捨て場の件なんですが、毎日チェックしていらっしゃるわけですよね。ひょっとして何か記録のようなものをつけてますか?」と訊いてみた。

「ゴミ捨て場の記録なんてつけてないよ。でも日記なら昔から毎日書いているけどね」
「昔の話ですが、教会の鐘楼にドイツ製の新しい鐘がついたことって書いてありますかね? 新しいっていっても、もう30年くらい経っていると思いますが」
「それはなんとなく覚えているよ。30年くらい前か。ちょっと待って」
と目撃者はかなり長い時間あちこち探し回っていたが、納戸の段ボールの中から一冊の古い日記を取り出し、パラパラとめくって「ああ これだ」と守屋に手渡した。

守屋刑事はそのページをみて目を疑った。その日に被害者がカラスをたたいて殺したことが記してあったのだ。

(写真は Wikipedia から拝借しました)

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2008年6月25日 (水)

サラとミーナ34: エキゾチック?

Mina Sarah サラとミーナは玄関ドアからドカーンと飛び出す性癖がなくて大いに助かります。サラはちょっとしたスキに建築用の足場を伝って家出したようなのですが、自分で帰ってきました。ただ彼女たちにもまずい癖があって、それは壁をひっかいて破壊するということです。家中にコルクを張りまくり、猫用の壁紙を張りまくりましたがついにギヴアップ。もうどうにでもなれって感じです。

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2008年6月23日 (月)

がん抑制のエース p53

Swan_cygnus 「がん遺伝子」というのは考えてみれば奇妙な言葉です。がんを引き起こすために存在する遺伝子などというものは、生物の生存にとって有害なので、そもそもそんな遺伝子ができるわけもなければ、進化の過程で保存されるわけもないのです。これはもともと医学関係者ががんに関係していると考えられる遺伝子をそう呼んで定着してしまった言葉です。

ウィキペディアによれば、「ある正常な遺伝子が修飾を受けて発現・構造・機能に異常をきたし、その結果、正常細胞の癌化を引き起こすようなもののことをいう」と定義され、「修飾を受ける前の遺伝子をがん原遺伝子 (proto-oncogene) 」と呼ぶということになっています。まあ「がん遺伝子」でも「がん原遺伝子(がん原因遺伝子ともとられかねない)」でもたいして変わりはないと思いますが・・・。がん責任遺伝子という呼称は、これらよりはいいかもしれません。

細胞の正常な増殖や分化には無数の遺伝子がかかわっており、どれが変異しても癌になりかねないと昔は考えていました。ですから50%以上のがんに p53 遺伝子の異常がみられるということがわかってきたときには大きな衝撃を受けました。p53 の研究はいまでもがん研究のひとつの中心であり、超巨大なサイトもあります↓。

http://p53.free.fr/

このサイトの p53 story http://p53.free.fr/p53_info/p53_story.html

の冒頭にアンデルセン童話の「みにくいあひるの子」が引用されています。このお話のあらすじは「アヒルの群の中で生まれたひな鳥が、他のアヒルの子に似ていないからという理由でいじめられる。アヒルの親は七面鳥のひなかも知れないと判断した。周りのアヒルからあまり辛く当たられるので逃げだし、他のところでやはり醜いといじめられながら一冬を過ごす。生きることに疲れ切ったひな鳥は、殺してもらおうと白鳥の住む池に行く。いつの間にやら大人になっていたひな鳥はそこで初めて、自分はアヒルではなく美しい白鳥であった事に気付く(ウィキペディアより)。」というものですが、なぜこんな引用があるかというと・・・。

p53 の p はプロテインのP、53は分子量53,000の意味ですから、誠に素っ気ない命名です。ゲノムの守護者ともいわれる重要なタンパク質なのでもっとかっこいい名前がついていても良いと思いますが、あまりに機能が多岐にわたり、紆余曲折もあったのでいい名前をつけるチャンスを失ったということかも知れません。1979年に発見されているのですが、当初研究に使われていた p53 遺伝子は、すでに変異をもったものだったので、それによってがんが引き起こされてしまい、「p53 遺伝子はがん遺伝子の一種である」という不名誉なラベルを貼られてしまいました。

その後、実は変異を持っていない遺伝子はがんを抑制するということが判明して、みにくいあひるの子が白鳥になったと言うわけです。もっともがん遺伝子もがん抑制遺伝子も、変異がなければ生物にとって重要な役割を果たしているわけですから、あひるだ白鳥だなどと差別する方がおかしい訳ですが、専門家向けのサイトでもこのような有様なので何をかいわんやです。

多くのがんで変異が見られるので、昨年から p53 の変異の検査が健康保険で受けられるようになりました。これは変な p53 が体内にできたときに、それに対する抗体が血中に現れるので、その抗体の有無を検査するものです。いまのところがんの疑いがなければ受けられないようですが、これが集団検診で受けられるようになれば、がんの早期発見におおいに有効、というかそうしなければこの検査の意味があまりないと思われます。

最近では p53 はアンチエイジングにも有効という報告があって、一部で注目されているようです(1)。

1: A Matheu et al. Delayed ageing through damage protection by the Arf/p53 pathway. Nature 448, 375-379 (2007)

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2008年6月21日 (土)

サリーの帰還

1 サリーは知人の飼い猫が生んだオスの白ネコだった。生後数週間の仔猫のときに譲り受けたが、半年くらい経つと眼がブルー、真っ白な短毛、長くてまっすぐなしっぽを持つ大型の美しい猫にすくすくと育った。おもちゃをわたすと、何時間も遊んでいる無邪気な性格だった。頭は右、後足は左という風に、体をねじって眠るのが特技だった。

しかしさすがにおもちゃにも飽きてきたのか、そのうちときどきベランダづたいに外に遊びに行くようになった。最初はすぐに帰ってきたが、しだいに長逗留するようになり、ある時家出して、ついに数日経っても帰ってこなかった。

あちこち探していると、近所の公園で、ベンチに座っている男から弁当を分けてもらっている白ネコをみつけた。間違いなくサリーだと思ったが、首輪が外れていて確認できなかった。思い切って話をしてみようと近づいたとき、男が立ち上がって歩き出した。すると、その白ネコも男の後をついて歩き出した。私は彼らの後をつけた。そしてたどり着いたのは、私の住むマンションの部屋の1階下、つまり2階の一室だった。

それから数日の間私はとても複雑な気分で、仕事も手につかず、悶々と暮らした。しかし一週間・二週間と経つうちに、「あの男に可愛がられているのなら、それもサリーの運命。まあ仕方がないか。それにあのネコがサリーだと確かめる方法もない」という割り切りができて、男と白ネコがいるかもしれない公園や、飼い主の男の部屋には近寄らないようにしようと決断した。

そして半年くらい経過したある寒い夜のことだった。玄関の方でニャーニャーとうるさく鳴く声が聞こえるので扉を開けてみると、なんとサリー(いやあの白ネコ?)がぽつんと座っているではないか!「まあ入れ」と声をかける間もなくネコは玄関に突入し、さっさとリビングに走っていってコタツに潜り込んだ。うちにいた頃もよく潜り込んでいたコタツだ。これは間違いなくサリーだと確信した瞬間だった。

サリーは昏々と眠り続けた。久しぶりでエサと水とトイレをいそいそと用意した。次の日、会社を休むわけにはいかなかったので、眠り続けるサリーを残して出勤したが、サリーのことが病気じゃないかと気になってまともな仕事にはならなかった。しかしそれは杞憂だった。帰ってみるとエサはすっかりなくなっているし、立派なウンチも確認した。サリーは家の中を何度もぐるぐる巡回して点検した。昔も1日2-3回は、家の隅から隅まで巡回していた。点検が終わると、またコタツに潜り込んでぐっすり眠った。もちろん体を180度ねじって・・・。

今度はベランダから逃げられないように、しっかりバリヤーを築いた。サリーがいない間は、帰宅するとただ黙って重い扉を開けるだけだったが、久しぶりで「ただいまー」と挨拶しながら扉を開ける幸福にひたることができた。サリーは私がベッドにはいると、ピョンとベッドの上に飛び乗って、私のふとんの中に潜り込んで眠るようになった。朝になると寝ぼけている私の顔をなめてエサを請求した。家に生き物がいるって、なんて素晴らしいことなのだろう。

そんな日々がしばらく続いた後のこと、ある日酔って深夜に帰宅したとき、いつものように扉を開けると、ただいまーの「た」も言わないうちに、何かの塊がすきまから飛び出した。サリーだと気がついたのは数秒後だった。一気に酔いがさめた。朝まで近所を探し歩いたが見つからなかった。次の日は会社を休み、パソコンで写真入りの張り紙をつくって、近所に貼って歩いた。それから毎日、帰宅するとネコ探しの日々だった。サリーを飼っていた男の部屋も訪ねてみたが出張なのか返事はなく、裏に回ってみても部屋に電気はついていなかった。男とサリーのいた公園にも毎日立ち寄ったが、男もサリーも居なかった。しかしある日、ついに男をみつけた。彼は公園のベンチに一人で座って、不機嫌そうに弁当を食べていた。

話しづらい雰囲気だったが、私は思いきって男に声をかけた。

「すみません。以前に白いネコを飼っておられましたよね」
男はうさんくさそうにこちらに目を向けた。私はあわてて
「私は3階に住んでいる長野という者です」と付け足した。
「ああ、マサオのことですか・・・。家出して帰ってこないんですよ」と男は暗い表情で答えた。最後の望みが絶たれた気がした。なぜだか急に涙があふれてきたので「そうですか」とだけ言って、私はその場を立ち去った。どんどん歩いてふと振り返ると、男はヒザをかかえ、うつむいてベンチの上にじっと座っていた。

それから白い野良猫をみつけると、いつもサリーと呼びかけていた。しかしいつからか、それも心の中で呼びかけるだけになり、年月を経て私の脳裏からサリーは離れていった。私の手元に残されたのは数枚の写真だけになった。それでもときにはアルバムを開いて私はサリーにそっと言うのだ。
「ただいま サリー」

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2008年6月18日 (水)

バルサ: 行く人 来る人 part 1

Braugrana もうバルサファンの方はご存じのことですが、これまでに決まった移籍の情報をまとめてみました。

まず行く人。

SBのジャンルカ・ザンブロッタがACミランに移籍しました。ACミランのザンブロッタというのは違和感ありますが、最後に一花というところでしょうか。

ジョバニ・ドス・サントスはトッテナム・ホットスパーに移籍しました。最後にハットトリックのプレゼントを残してくれましたが、移籍は残念です。プレミアでもまれて成長してくれることを祈りたい。

さて次は来る人。

まず目玉はセビージャから来てくれたブラジル出身のダニエウ・アウベス(1983生)。右SBですが、超攻撃的な選手なので、ひょっとするとMFで出場することもあるかもしれません。獲得に50億円以上を要したとのこと。素晴らしい選手であることは間違いありませんが、SBにこのお値段とは今のご時世で異様です。バルサが倒産しなければいいのですが。

同じくセビージャからMFのセイドゥ・ケイタ(1980生)も獲得しました。デル・ニド会長は大儲けです。まあお金のことはさておき、これでイニエスタやチャビが疲労困憊しなくてもすみそうです。めずらしいマリ出身の選手です。

マンUからはジェラール・ピケ・ベルナベウ(1987生)を獲得しました。バルサのカンテラ出身のCB(MFもできる)で、おじいちゃんが永年バルサの副会長をやっていた良血の里帰りです。プヨール、マルケスが故障がちになってきたので、頼る場面もあるでしょう。

同じくCBのホセ・マルティン・カセレス(1987生)をビジャレアルから獲得しました。ウルグァイの選手です。ウラゲーも故障から回復し、これでCBの層はかなり厚くなりました。

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7月6日にラポルタ政権の役員の不信任投票が行われるようです。しかしどれだけの人が休日を棒に振って投票にいくか疑問ではあります。もし不信任ならいよいよ会長選挙です。ラポルタとチキが移籍の話をまとめるなら7月6日までなのですが、ここであわてて、ロナウジーニョやエトオを売ったりしたら、怒るのは私だけではないでしょう。デコはモウリーニョとの信頼関係もあり、インテルに移籍でまとまるかもしれません。

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2008年6月15日 (日)

カタロニア賛歌

Photo ジョージ・オーウェルは1903年生まれのイギリス人で、名門イートンカレッジ出身の秀才ですが、若い頃はなぜか当時英領のミャンマーで警官をやっていたそうです。しかしその仕事に不満を抱いてイギリスに舞い戻り、ルポライター稼業をはじめるという変わった人物です。第二次世界大戦後「動物農場」という著書を出版して有名になりました。

スペイン内戦に兵士として参加したのも、ヘミングウェイのように国際旅団の一員としてではなく、個人的にPOUM(マルクス主義統一労働者党)傘下の民兵組織に身を投じたわけです。奥さんもすごい人で、バルセロナに移住して陰に陽に夫をサポートしました。彼が戦争に参加した理由は単純にファシストと戦う人民軍の一員として貢献したいということと、ルポライターとして命がけでいい仕事を残したいという目的もあったのでしょう。それはこの「カタロニア賛歌」で実現しました。

彼が到着した1936年末のバルセロナはすごい状態でした。バルセロナでは実際にサンディカリストの労働者が権力を握っていて、資本家や会社経営者を追い出し、会社を労働者の委員会で運営するというサンディカリズムが実現していました。彼らは民兵を組織し、富裕層や豪農達の家屋、教会などを破壊し、実際にフランコ派の本拠地サラゴサ近郊まで出撃して、主力部隊として戦闘を行っていました。オーウェルも興奮したようですが、街ではいたるところに黒と赤の革命旗がはためき、セニョールという呼称やブエノス・ディアス(おはよう)という言葉が廃止され、チップも禁止するなど、階級差別や貧富の差別がない本来の意味での政治・文化の大革命が実現していたのです。

私もこれほどまでに教会が労働者階層に嫌悪されてたことを知ってびっくりしました。この本には具体的なことは書いてありませんでしたが、おそらく教会は富裕層と密接に結びついていたのでしょう。ちなみにローマ教会はフランコ派に好意的でした。

オーウェルも民衆の大喝采の中で、英雄的に戦地に出発しました。戦争はお互いに武器が不足していて、膠着状態のことが多かったようですが、もちろん危険な場面もあり、命がけの戦闘場面の迫真的なルポもあります。そしてついに彼は銃弾がノドを貫通するという重傷を負いますが、九死に一生を得てバルセロナに帰還します。

しかし3ヶ月半後のバルセロナは、まるで別の街になっていました。POUMやCNT(全国労働同盟)と共に戦っていたはずのPSUC(カタロニア統一社会党)がソ連(ロシア)の影響で袂を分かち、POUM一派をトロツキストでファシストが裏で糸を引いている反革命集団として糾弾するという姿勢に転じていたのです。ランプラス通りの両側で、POUM・CNTの民兵と政府軍・PSUCが撃ち合うという戦闘がはじまり、電話局の攻防で500人が死亡するという歴史的事件もおこりました。スターリンのソ連にとって、サンディカリズムやアナーキズムは危険な思想とみられ、スペインからもこの勢力を掃討しようとしたのでしょう。コンティネンタルホテルにはソ連のエージェントが派遣され、毎日POUMはファシストの手先だというデマを流していたそうです。オーウェルはこの本の中で「マスコミ以外で嘘をつくのが仕事の人物を初めて見た」と書いています。バルセロナは革命に熱狂する街から死の街へと変貌しました。

ソ連の後押しの力は大きく、サンディカリスト、アナーキスト、そしてオーウェルの戦友たちも次々逮捕投獄されましたが、オーウェルは奥さんの機転もあって、危機一髪でスペインを脱出することができました。フランコ派はドイツ・イタリアというファシスト国家の援助で次第に力をつけ、結局ソ連が押す政府軍を撃退してスペイン全土を制圧しました。それによって革命軍の拠点であったバスクやカタロニア(カタルーニャ)では、現地の言葉や文化が禁止されるというひどい目に合うことになりました。

「カタロニア賛歌」はあくまでも戦争と革命の現場のルポですが、オーウェルは後に当時の政治情勢を分析して、非常に長い補論を出版し、それはこの文庫本にも掲載されています。資本主義の矛盾や限界は1930年代のスペインにおいても十分に認識されていたわけですが、資本家や経営者にとってもっとも怖いサンディカリストによる革命を圧殺したのが社会主義国家のソ連だったというのが、この本によってよくわかります。

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2008年6月13日 (金)

シューマンのシンフォニックエチュード

Tabe ピアノソロの曲の中から一曲だけ選べと言われれば、私はシューマンの交響的練習曲(作品13)を選びます。しかも私的には世界一のピアニストと仰ぎ見る田部京子さんが弾くというので、昨日浜離宮朝日ホールに聴きに行ってきました。CDもかなり聴き込んだ曲です(DENON COCQ-83259)。田部さんはシューベルトとは血縁関係にあるのではないかと思うくらいの方ですが、なぜかこのシューマンの曲のCDをよく聴きます。

指定したわけではないのですが、なんと4列目の中央というすごい席に当たって、スタインウェイ・フルコンサートのブィーンという唸りに全身をつつまれるという幸運。スタインウェイのピアノは鉱物・植物・ヒトの奇跡の co-ordination で、宇宙最高の音を発します。

主題の提示はCD同様ゆったりとしたもので、この大規模な曲を楽しむ旅におもむろに誘ってくれます。演奏はCDよりビシッとめりはりの効いた、エキサイティングな熱演・・・でありながら上品さや清潔な構成感を失わない、なんというか、メルセデス・ベンツに乗せられて、美しい夜景を眺めながら高速道路を疾走しているような感じでしょうか。

遺作の変奏5などは天国的な美しさで、ああ終わらないでくれと願わずにはいられません。そこから激しい練習曲10、そしてショパン風の練習曲11から壮麗な終曲へ。やっぱりすごい曲、そしてすごい演奏でした。

後半はカルミナ・カルテットと共演でやはりシューマンのピアノ五重奏曲。これは初めて聴きました。第一楽章はまるでフランス音楽みたいな柔らかい美しさに満ちた曲でびっくりしました。第一バイオリンのエンデルレさんは見るからに洒脱な感じの方で、古典派よりロマン派やラテン音楽の方が似合いそうでした。

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2008年6月10日 (火)

サラとミーナ33: 協調性あり

Img_16 今日は仲良しのサラとミーナです。サラはちょっと窮屈そうかな。

秋葉原のあの場所はよく行くところなので背筋が凍る思いがしました。日本は崩壊しつつあります。ナイフの規制なんて意味はありません。包丁があればいいのですから。散弾銃の規制は多少意味があるかもしれません。

昔日本の鉄道は時間通りに来るのが当たり前だったのですが、京急などは(したがって乗り入れている北総線も)ほとんど毎日遅延します。今日などは車両故障で、途中の駅で降ろされてしまいました。東横線などもひどいらしいです。人身事故も頻繁になっているように思います。コストダウンのために、ホームの駅員や保守・清掃の人員を減らしていることが影響しているのでしょう。

高級官僚は小学校からすべての競争に打ち勝ってきたエリートです。彼らの処遇が間違っているのです。天下りしてから怪しい役割(ときには違法な役割)を担わせ、それで厚遇を得ているような状況はいけません。エリートは各官庁においてエリートにふさわしい給与、仕事、スペース、アシスタントを与えて、きちんと良い仕事をさせなければいけません。それなしで天下りをなくせば、おそらく事なかれ主義とサボタージュだけが残るでしょう。

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2008年6月 7日 (土)

パパラギ サモア酋長の講演

Papalagiおよそ100年前のことです。サモアの少年ツイアビはヨーロッパからやってきた宣教師が建てた教会でキリスト教の教えに感動し、成人になってその教えを生んだヨーロッパの諸国に視察旅行に行きました。しかしそこは彼が期待したような場所ではなく、恐ろしい場所でした。彼は後に村の酋長になったときに、サモアがヨーロッパの文化に感化されて、暗黒の世界に引きずり込まれてしまうのを恐れ、村人にヨーロッパ文化のバカバカしさを講義してその記録を残しました。そしてその後ツイアビの友人だったショイルマンがドイツ語に翻訳して、1920年にスイスから一冊の本を出版しました。

それから90年近く読み継がれているのがこの「パパラギ」という本です。2007年に英語に翻訳されましたが、講談社英語文庫でも出版されました(¥680)。パパラギとは西欧人のことで、この本はその西欧人の文明を素朴かつ真摯に批判したものとして評価が高まっているようです。ツイアビ酋長はまず服装から話を始めます。

「西欧人は分厚い洋服に身を包み、足も巻き貝のように周りを硬い皮で固め、しかも泥をこすりつけて光らせている。西欧人は肌を露出することは罪悪と考えている。女も乳房を隠しており、しかも赤ん坊は角の生えた醜悪な動物のミルクで育てる。処女の女も肌は出さないので、若い男はなんとか裸の女をみたいと頭がいっぱいでよからぬことを考えてしまう。体を見せないで結婚するので、男はあとでだまされたことに気づくこともある。男の足など朝から晩まで固い皮で固められているので空気が流通せず、腐った臭気が漂っている。西欧人は首から上だけが生き物で、体や手足は生き物と考えない。しかしサモア人は体や手足も生き物で、日光と風にあてることが自然なのだ。」とツイアビは話します。確かに肌を露出している地域の方が、隠している地域より性犯罪が多いという話はききません。現代の考え方ではオゾン層の破壊もあり、肌をむやみに露出するのは危険なのでやめた方がよいのですが、ツイアビの見方も理解はできます。

次は住居です。20世紀初頭のヨーロッパの諸都市ではもうビルが林立し、都市の住民はそこの集合住宅に住んでいました(現在の日本もほぼ同じ)。彼から見ればパパラギは溶岩の割れ目に住んでいるサソリのように見えたようです。「いろんなサイズの石の箱をヤシの木よりも高く積み上げ、一日中日が当たらず、風も通らず、すすや黒い砂(スモッグ)、調理のにおいがこもった不健康な部屋で過ごし、外に出てもビルの谷間に出るだけでやはり日は当たらない。私は彼らを「谷間の人(gully people)」と呼ぶ。西欧には彼らとは異なる「耕地の人(land people)」という、より健康的な生活を送っている人がいるが、彼らはたくさん食物を持っているのに、谷間の人にあこがれを抱いていて、そうなりたいと考えている。」とツイアビは指摘しますが、これはかなり当たっている感じですね。

ツイアビの舌鋒はますます鋭くなります。彼があこがれていたキリスト教は、実際に西欧に行ってみると全くのいかさまだったことが分かります。キリスト教では神の愛を説きますが、パパラギが愛しているのはコインと紙幣だけだったのです。何をするにも、食べたり水を飲んだり、踊ったり歌ったりするにもお金がかかるので、パパラギは日の出から日没まで、あるいは夜の間もお金のことを考えざるを得ません。このことがツイアビには我慢のならないことだったようです。パパラギはお金のために、健康、笑い、幸福、良心、妻子まで捨てているようにツイアビには見えました。

このあともどんどん鋭い文明批判が飛び出します。「新聞が各地の情報をみんな報道するので、知っていることはみんな同じだ。サモアでは別の島の知り合いと久しぶりで会うと四方山話で盛り上がるが、パパラギは遠い土地の知り合いと会っても話すことがない。」というのが面白かったです。私たちはニュース番組によって、おきまりの情報をおきまりの見方で受け取り、マインドコントロールされているのです。

読んでから気がついたのですが、すでに1981年に立風書房から日本語訳が出版されておりました。これも購入可能なようです。

パパラギ―はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集
岡崎 照男 (訳), ツイアビ (著)

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2008年6月 6日 (金)

SKミル

Skmill_s P教授と私はいわば戦友という間柄でしょう。昔お互い研究費がほとんどない頃に協力して研究し、国際誌に3報出版するという成果をあげました。すぐヒスをおこし激怒するという難点はありますが、なんとか慣れることは可能のようです。まあ若い頃は小悪魔などと言ってポジティブな意味もあるかもしれませんが、中年になると中悪魔ですから大変ではあります。とはいえ大変な努力家であることは認めざるを得ません。薬学の教育は4年から6年になったわけですが、だからといって教員数が1.5倍になるわけではなく、各教員の負担の拡大で大学側は乗り切ろうとしているのです。収入は50%増ですから、大学側はボロもうけってことです。

数年前に私があるウェブサイトで見つけてきたSKミルというアイテムを使って、昨日彼女の研究室でサンプルを調製してきました。このSKミルというのは優れもので、これによって凍結したサンプルを一回も融解せずに熱SDS変性(タンパク質の場合)にもっていけるので、分解産物の少ない良質なウェスタンブロットを行うことが可能です。実はいまでもブレンダーやホモジェナイザーでサンプルを調製している人達も居て、その場合ウェスタンブロットやイムノブロットのデータは、いくらプロテアーゼインヒビターを入れてみても、たいていもの悲しい結果になります。もちろんこのアイテムはRNAの調製の際にも極めて有用です。今ではフナコシなどのメジャーなディーラーでも取り扱っていて手に入れやすくなりました(<10万円)。

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2008年6月 3日 (火)

サラとミーナ32 そして石油と食料

Photo 本日のサラとミーナです。マンションの建物はメッシュで全体を覆われ、おまけに梅雨入りということで部屋は閉塞状態ですが、その割にはネコたちは元気いっぱい。阪神タイガースグッズが写っちゃいましたか。

Photo_3 話は変わりますが、アメリカとブラジルはバイオ燃料を推進しています。これが食糧危機の要因となっています。アメリカの都市は結構バスが走っているのですが、乗るのは貧乏人ばかり。鈴のついた針金をゆらして降車の合図というのが、日本から行くと実に貧乏くさいです。明らかに行政はバスに金をかけていません。車で通勤・通学・買い物をアメリカの中産階級はやめられないのです。日本でも誰でもどこでも農業をはじめられるという政策を実行できないものでしょうか?バスの数を増やす、鉄道を復活することも重要でしょう。

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2008年6月 1日 (日)

毛と羽毛

C_2 日本語だと繊毛、鞭毛、体毛、羽毛なんでも毛ですが、さすがに牧畜民族の欧米では毛にまつわる単語が多い。例えば産毛は lanugo, 陰毛は pube, 感覚毛は vibrissa などがあります。

鳥の羽毛をよくみると先端部分の規則的な部分と根元のもやもやした部分があります。規則的な部分は羽板、もやもやした部分はダウン様フェザーといいます。そのほか哺乳類の毛のシンプルな構造に比べて、分岐構造があるなど大変複雑な構造となっています(上図に示しますが、細かいところは描ききれていません)。

歴史的にみれば、哺乳類の毛が古生代のペルム紀あたりにできた(明確な証拠はない)と思われるのに比べて、鳥類の羽毛は中生代に出現した恐竜の仲間である獣脚類が発明したものとされています。ですからもともとは空を飛ぶためにできたものではなく、保温などの目的のものだったのでしょう。その後中生代のうちに急速に進化して、驚異的に複雑な構造を獲得し、空飛ぶ恐竜を生み出しました。現在の鳥類はその子孫だというのが学会の定説です。

B もともと起源が違うので発生の過程も異なっており、下図のように哺乳類で皮膚の一部が落ち込んで、そこから毛が発生するのに比べ、鳥類の羽毛はまず皮膚の一部が突出し、その後まわりが陥没することによって基部ができあがります。興味のある方は下記文献に詳しい記載があります。

Hair, scales, fur, feathers. Of all the body covering nature. Scientific

American, March 2003, pp.62-69

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2008年5月31日 (土)

蟹工船

Photo 戦前の古い小説「蟹工船」が大ブレイクしてベストセラーになっています。駅構内の書店などにも並べられていて、つい買ってしまいました。これが意外に面白くてびっくり。確かに貧乏人が増えた今の世相の裏返しなのでしょうか。裏返しというのは、実際に労働運動が盛り上がっているわけではないし、ましてやそれで政府を転覆しようというような動きはないからです。私も労働組合にははいっていません。余計な人間関係が増えるのを恐れる消極的な性格のためだと思います。ダメな性格なのですが、驚くべき事に私の友人のなかには、女房の家族とつきあうのがわずらわしいので結婚はしないという人もいます。

「蟹工船」というのは実際に蟹をとってくる船を何艘かと、蟹を加工して缶詰にする船内工場を含み、樺太沖などで操業する船のことで、これにいったん乗り込むと雨の日も風の日もろくに食事も食わされないで、命がけの長時間労働を強いられることになります。実際かっけや過労などで死者も数多く出たようです。この小説はプロレタリア小説というより、蟹工船労働者の反乱を劇画的に書いたもので、そういうところが受けているのかもしれません。

この本の後半にはもう一篇「党生活者」という小説が含まれています。これが素晴らしい傑作でした。戦前の共産党地区細胞の活動を、ハードボイルドとも言っていいくらいクールなタッチで描いてあり、革命政党の単なるプロパガンダとは一線を画する小説です。主人公を養っている女性や同志の女性についても、イメージが浮き上がってくるようにきちんと描いています。今の時代にこのような活動をしようとすると、インターネットや電話は盗み見・盗み聞きされますし、街角はビデオで監視されているのでなかなか難しいだろうと考えると、背筋が少し寒くなりました。

著者の小林多喜二は、1933年に29才の若さで特高警察の拷問によって虐殺されています。この本(新潮文庫)は昭和28年に出版されていますが(伏せ字多数の版は戦前にも出版されていたらしいです)、今年五月の版は第98刷だそうです。

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2008年5月30日 (金)

ロナウジーニョ賛

Braugranaロナウジーニョは2005/2006の好調のシーズンでもよく球を敵に囲まれてとられた。多分バルサで一番とられたと思う。これは起点をつぶすために厳しくマークされているということもあるが、ゴールエリア周辺の状況をいつも見ているために「逃げ」のパスを出すタイミングが遅れるせいでもある。

バルサが得点するには、ロナウジーニョに球がわたった瞬間に、エリアの近くにいる選手は、「ゴールが見える位置」か「前にスペースがある位置」にスッと移動することがポイントだ。そうすればロナウジーニョが気づいてくれる。エトオやジュリはよく分かっている。ラルソンやリバウドはいつでもいい位置を知っているので、ロナウジーニョもやりやすい。ロナウジーニョがいれば、ボヤンやジョバニもこの技術を身につけられるだろう。

ロナウジーニョが素晴らしいのは、なんといっても観客を彼の頭の中に吸い込んでしまうことだ。彼が球を持つと、次は何をするのだろうというドキドキ感で彼と一体になれる。もちろん一番の狙いはシュートできる位置にいる選手にパスを出すことだ。・・・とここまでは彼がいつも心がけているおきまりの仕事だ。おデブなどと言われる前のロナウドやメッシがいると、これに至上の遊び心が加わる。ワンツーやフェイントで二人遊びをやるのだ。ゴール前にいてひとりのときは仕方なく受け手となってヘディングもバイシクルもこなす。ウィキペディアには彼は全く守備はしないと書いてあるが、それはウソだ。今年のチャンピオンズリーグでわが中村俊輔から突風のように球を奪っていった姿は記憶にあたらしい。俊輔もゴール前をよく見る選手なので、ロナウジーニョにしてみれば足許がおろそかになっているのはお見通しだ。

彼の脚が十分なコンディションにないのは本当に残念だ。しかしそんな状態でセリエAやプレミアに移籍しても不幸な結果が待っているだけだ(一昔前のACミランならインザギやルイコスタと良いコンビネーションを作れたかもしれないが)。2010年まで契約が残っているならバルサに居座るべきだ。その間にうまくいけば体調がもどるかもしれない。もどらなければ引退した方がよいだろう。兄貴が止めるなら決別すべきだ。ロナウドのようにずるずると醜態をさらすのは見習うべきではない。マラドーナも言っているように多分彼は「史上最高のサッカー選手」なのだから。

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2008年5月28日 (水)

バルサに激震

Braugrana_2バルサ経営陣に対する不信任投票を要求する署名が必要票数を突破したようです。これで不信任投票が実施されることになれば、ラポルタ退陣もあり得ます(よしっ!)。バルサに夏の嵐が吹き荒れそうです。しかし海外のソシオはこの投票にも参加できないのでしょうね 残念・・・。

G.ミリートの穴を埋めるためマンUから、おじいちゃんがバルサの副会長だったというディフェンサ、ジェラール・ピケを獲得しました。エジミウソンはすでに退団し、マルケスも退団の噂があるので、彼の復帰は非常に助かります。またセビージャからベテランMFセイドゥ・ケイタを獲得しました。デコの退団が決定的なのでこれも大きな補強です。

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2008年5月25日 (日)

肥満ネコをスマートに サラとミーナ31

Sarah 久しぶりにサラとミーナの体重測定です。サラは4.2kg、ミーナは6.0kgで、なんと1月に測定したときと全く同じでした。ほう しかしこれでいいのか? まあ体型をみればこんなもんかなと思います。ミーナの方は、体重が単調増加しなくてほんとうによかったと思います。これは全くロイヤルカナン・ライトという素晴らしい固形飼料のお蔭です。幼年避妊したネコの肥満に悩んでいる方には躊躇なくおすすめできます。

Mina1_2 サラは体重が増えていないのは若干不安ではありますが、体型を見る限り痩せているというよりむしろふっくらという感じなので、このあたりで安定してくれるといいかも。サラにはロイヤルカナン・エクシジェントを与えています。実験的に確かめた訳じゃありませんが、この餌は免疫過敏症に有効と思われます。ロイヤルカナンの餌はもともとアレルギーの問題があるネコのために開発されたそうです。

それにしても不思議なのは、二つ並べて置いているのに、サラはエクシジェント、ミーナはライトしか食べないことです。

(写真)箱を出しておくとすぐにサラが寝床にしてしまいました。ミーナはまわりでうろうろ。

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2008年5月24日 (土)

横浜のジョバニ・ドス・サントス

08086横浜でのジョバニ。17才でした。決勝点をあげ、表彰されて手を挙げています。当時から使える男だという片鱗はみせていました。

今期バルサ最終戦のハットトリックとはやってくれました。しかし来期の所属はきまっていません。メッシが右サイドのエストレーモをやっている限り、ジョバニは控えに甘んじなければいけません。まあメッシのプレースタイルからいって、1シーズンもつとは思えないんですけどね。

08089意外にトップ下がいいとも思えるのですが、やっぱりバルサでそのポジションをやるのはまだまだ厳しいかもしれません。しかし、ダニエウ・アウベスが来期加わるとすれば、メッシが右サイドをやっているのは非常にまずいです。メッシはドリブル突破がウリなので、だいたいはDFにひっかかってカウンターをくらうことになります。このときに右SBがメッシの近辺まで出ていると、右サイドががら空きになって、するするエリア近辺まで逆襲されることになるでしょう。そうなるとメッシをMFで使わざるを得ず、右サイドアタッカーとしてジョバニの出番もあるかもしれません。

いずれにしても、来期もバルサの過密スケジュールは変わらず。おまけにまっとうなキャンプができないとか、もともと故障持ちの選手を採用しているとかの問題があって、形だけは2チーム分の選手がいても、シーズン半ばで実質選手が足りなくなることは目に見えています。ロニー、エトオ、デコなどの主力選手を切って、クラシコに勝てるなどと思っているようでは甘すぎると思いますね。

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2008年5月21日 (水)

へその緒の効用

1人体の表面は唇・乳首などの一部を除いて、すべて角質化して死んだ表皮細胞から成り立っています。しかしその0.何ミリメートルか下には生きている細胞があり、なかでも垢となってはがれ落ちる皮膚を補填するための細胞分裂をしている最下層の細胞層を基底細胞層といいます。

基底細胞層の下には真皮(繊維芽細胞やコラーゲンからなる)があり、その下に脂肪や筋肉があります。基底細胞層より上には血管がないので、真皮まで切らないと出血しません(図)。

生まれたばかりの赤ちゃんはへその緒をつけていますが、このへその緒の表層の細胞は角質化していなくて、顕微鏡で調べると表皮の細胞とはかなり異なる形をしていることがわかっています(1)。ところが順天堂大学の溝口将之博士らは、この細胞を真皮の細胞の上で培養することによって、まるで表皮の細胞のように見事に角質化することを示しました(2)。

さらに細胞表層マーカー、インテグリンのサブタイプ、ケラチンの種類などを調べると、へその緒の表層細胞は見た目に反して、実はその性質は表皮の基底細胞そっくりだということがわかりました(2,3)。このことは皮膚を移植するかわりにへその緒を移植してもいいのではないかということを意味します。へその緒はほとんどの場合捨てられてしまいますが(昔は捨てずにタンスの奥の方に大切に包んで保管するという習慣があったようですが)、培養して保管しておけば、適合する患者に移植できると思われます。近いうちに実用化されるかもしれません。

1) Hoyes: J Anat (1969) 105, 149-162
2) Mizoguchi et al: J Dermatol Sci (2004) 35, 199-206
3) Ruetze et al: J Dermatol Sci (2008) 50 ,227-231

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2008年5月20日 (火)

京都国際会館

Img_1594国立京都国際会館です。30年以上前に建設されたものですが、まだ古いなという感じがしません。前に来たときと違って、地下鉄の駅から濡れずにいけるようになっていました。日本政府が作った箱モノとしては格段にすぐれた建築物だと思います。ここの主務官庁は文部科学省ではなく、財務省だというのがミソかもしれません。

外面とか内部のプレゼンテーション設備などは素晴らしいのですが、いくつか問題点もあります。スワンが泳ぐ池があるのですが、まわりにあずまやなどをもっとうまく配置したらいいのにと思いました。あと会議室によっては椅子が硬すぎて、5時間くらい座っていると本当に耐え難くて困りました。

京都は町中修学旅行や遠足の学生でいっぱい。情緒も何もあったものではありません。それでも清水寺だけには行ってみましたが、芋の子を洗うような混雑で早々に退散しました。やれやれと茶碗坂をおりてくると、なんとそこにタイガースオフィシャルショップが? お客は私一人だったので、ゆっくりみてまわって何点か購入しました。

東京に帰ってみると長文のレビューを書いてくれなどという話がメールで舞い込んでいたりしまして、予定外の仕事で夏が忙しくなりそうです。一文にもならない仕事なのですが・・・。その前にP