カンブリア紀には弱肉強食の世界がはじまり、私たちの祖先である原始魚類達は大型の節足動物の捕食を逃れるため、青斑核ののようなアラートシステムを必要としました。もしそれが捕食を免れるためだけのものなら、そのようなシステムは捕食者がいないエディアカラ紀以前には不要だったはずです。しかし青斑核がもとはと言えば覚醒を維持するためのシステムとして作られたとすれば、それはエディアカラ紀に起源をたどれるかもしれません。
私たちが眠っているときにも胃腸、肝臓、腎臓、膀胱、心臓などは機能しています。では何が休んでいるかというと「運動神経と随意筋」、「感覚神経と感覚器」の2つのセットです。自律神経や不随意筋は睡眠時も普通に機能しています。エディアカラ紀にもその2つの休みが必要なセットは存在したに違いありません。嗅覚やケミカルセンサーでエサをみつけて、そこに移動接近する必要がある生物はその2つのセットをもっているはずだからです。
運動神経や感覚神経は不定期に活動することが必要で、一度活動するとニューロン内部のイオン組成を元に戻し、シナプス周辺に放出した神経伝達物質を除去する必要があるのでしょう。また神経伝達物質を使い切ったら新たに取り込むとか生合成するとかして補填しなければなりません。睡眠はおそらくこれらの作業を行うために必要なのです。運動神経や感覚神経がこれらの作業を行うために休んでいる間は、随意筋や感覚器は活動することができません。自律神経がどうして休みなく働けるのかはわかりません。これは脳神経科学の重要なテーマの1つでしょう。
青斑核(Locus Coeruleus)は運動神経・感覚神経のサポートシステムとして、睡眠と覚醒を制御するためツールとして生まれたと考えられます。このシステムがカンブリア紀以前からあるとすれば、脊椎動物以外の生物群にもある程度共通するシステムがあるに違いありませんが、それは近年次々と明らかになってきました。昆虫が眠ることはよく知られていますし、彼らも大脳基底核や脳幹に覚醒システムをもっているようです(1)。線虫(線形動物)もタコ(軟体動物)も眠ります(2、3)。このことは睡眠のシステムは前口動物・後口動物が分かれる以前の段階、ウルバイラテリアの段階から存在したことを示唆します。
突然眠ってしまうナルコレプシーという病気にはオレキシンや青斑核が関与しているらしいですが、これは珍しい病気です(4)。一方パーキンソン病やアルツハイマー病は随意筋の動きに変調をきたす代表的な脳神経系の病気で、患者の数は厖大です。昔からこのような病気で死亡した患者の脳を調査して(本人や家族の了解を得るのは大変だったと思いますが)、どの部分に異常が見られるかを調べるという研究は熱心に行われてきました。図239-1はこれらの病気に関係が深いと考えられているマイネルト基底核(視床とアミグダラの間にある)・橋青斑核・中脳黒質緻密部におけるニューロンの減少を、死後解剖によって調査した結果をまとめたものです(5)。これによると特に青斑核における細胞の減少が著しいことがわかります。
図239-1 アルツハイマー病かつパーキンソン病で死亡した患者の、マイネルト基底核・青斑核・中脳黒質緻密部におけるニューロンの減少(パーセントロス) 各研究結果のまとめ
アルツハイマー病は皆さんご存じだと思いますが、パーキンソン病とはレビー小体というαシヌクレインというタンパク質からなる塊が脊髄・脳幹・中脳などの細胞の中に蓄積して、それらの細胞の機能が低下するまたは細胞が死滅する病気です。おそらくそのためにドーパミンの分泌が悪くなるなどの影響でふるえ・こわばりなどが発生し、正常な行動ができなくなります(6)。
図239-2はパーキンソン病とアルツハイマー病をわけて調査した結果です。これによると特にパーキンソン病(PD)と青斑核におけるニューロンの減少について、様々な調査結果が一致して相関性があることを示唆しています(5)。黒質緻密部におけるニューロンの減少は従来から言われているように、やはりパーキンソン病と深い関係があるようです。黒質緻密部はドーパミン作動性のニューロンが集結している部域であり、実際L-ドーパ投与によってドーパミンを補充することによりパーキンソン病の治療が可能であることがわかっているので(7)、この場所がパーキンソン病とかかわりが強いことは予想通りです。一方アルツハイマー病は黒質緻密部とは関わりが薄く、マイネルト基底核や青斑核とは関わりが深いことが示唆されています。
青斑核がパーキンソン病にどのようにかかわっているかはよくわかっていませんが、ロンメルファンガーとヴァインシェンカーは「パーキンソン病は中脳の黒質緻密部の変質が原因とされているが、青斑核ニューロンの減少も深く関係している。ノルアドレナリンはニューロンを保護するだけでなく、正常な行動を維持するためにも必要である」と言っています(8)。。またMPTP(1-メチル-4-フェニル-1,2,3,6-テトラヒドロピリジン)はドーパミン作動性ニューロンを変性脱落させる毒薬として知られていますが、重篤なパーキンソン病を発症するにはさらにLCにダメージを与えることが必要であるというデータもあり、マリエンらはLCの不調がパーキンソン病やアルツハイマー病の進行に決定的な役割を果たすと述べています(9)。さらに詳しく調べたい方は、パーキンソン病における青斑核のかかわりについてまとめた最近の総説をご覧下さい(10、11)。
図239-2 アルツハイマー病、パーキンソン病、それぞれで死亡した患者の、マイネルト基底核・青斑核・中脳黒質緻密部におけるニューロンの減少(パーセントロス) 各研究結果のまとめ
ロバート・ウィルソンらは165人の高齢市民の協力を得て、記憶と老化研究のプロジェクトを実行しました(12)。参加者は約6年にわたって頻繁に認知テストを受け、亡くなると脳を解剖して検査することに同意しています。その結果、青斑核の中脳よりに隣接する背側縫線核あるいは中脳黒質緻密部などにはみられず、青斑核にはみられる現象がみつかりました。それは図239-3に示してありますが、青斑核のニューロンの減少が顕著なほど認知能力が低下するという結果です。これは背側縫線核あるいは中脳黒質緻密部にはみられない現象でした。このことは青斑核の縮退がアルツハイマー病にかかわっていることを示唆しています。
図239-3 青斑核ニューロンの密度と認知能力の経年低下
青斑核についてまだ解明されていない重要なことは入力についてです。脳科学辞典には入力は極めて少なく2ヶ所からだけだと書いてありますが、中脳や骨髄の三叉神経核から入力があるとする論文がありますし(13)、実は大脳皮質や視床などからも入力があるのではないかと思われます。これからの研究結果を待たなければなりません。
参照
1)動物の生きるしくみ事典 昆虫の睡眠の分子神経メカニズム
https://cns.neuroinf.jp/jscpb/wiki/%E6%98%86%E8%99%AB%E3%81%AE%E7%9D%A1%E7%9C%A0%E3%81%AE%E5%88%86%E5%AD%90%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E3%83%A1%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0
2)河野泰三, 林悠、睡眠の進化—線虫に注目して 生体の科学 vol.71, no.1, pp.476-477 (2020)
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425201112
https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.2425201112
3)Science Portal news タコも「浅い睡眠」と「深い睡眠」ですやすや 沖縄科技大など発見
(2023)
https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20230911_n01/
4)長谷川恵美 オレキシン産生神経細胞は二つの異なる神経経路でナルコレプシーを抑制する
Hasegawa E., et al.( Mieda M.) : Orexin neurons suppress narcolepsy via 2 distinct efferent pathways : J Clin Invest., vol.124(2): pp.604–616 (2014)
http://physiology.jp/science-topic/10496/
5)Chris Zarow, Scott A. Lyness, James A. Mortimer, and Helena C. Chui, Neuronal loss is greater in the Locus Coeruleus than Nucleus Basalis and Substantia Nigra in Alzheimer and Parkinson Diseases., Arch. Neurol., vol.60, pp. 337-341 (2003)
doi:10.1001/archneur.60.3.337
https://jamanetwork.com/journals/jamaneurology/article-abstract/783853
6)福岡みらい病院 パーキンソン病とはどんな病気?
https://www.fukuoka-mirai.jp/neurosurgical-functional/975/
7)難病情報センター パーキンソン病
https://www.nanbyou.or.jp/entry/169
8)K.S.Rommelfanger and D.Weinshenker, Norepinephrine: The redheaded stepchild of Parkinson's disease., Biochemical Pharmacology, vol.74, Issue 2, pp.177-190 (2007)
https://doi.org/10.1016/j.bcp.2007.01.036
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S000629520700086X
9)Marc R Marien, Francis C Colpaert, Alan C Rosenquist, Noradrenergic mechanisms in neurodegenerative diseases: a theory., Brain Research Reviews, vol.45, pp.38-78 (2004)
https://doi.org/10.1016/j.brainresrev.2004.02.002
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0165017304000165
10)Bilal Abdul Bari, Varun Chokshi, Katharina Schmidt, Locus coeruleus-norepinephrine: basic functions and insights into Parkinson’s disease., Neural Regen Res vol.15(6): pp.1006-1013 (2019) doi:10.4103/1673-5374.270297
https://journals.lww.com/nrronline/fulltext/2020/15060/Locus_coeruleus_norepinephrine__basic_functions.5.aspx
11)Elena Paredes-Rodriguez, Sergio Vegas-Suarez, Teresa Morera-Herreras,
Philippe De Deurwaerdere and Cristina Miguelez, The Noradrenergic System in Parkinson’s Disease., Frontiers in Pharmacology vol.11, article 435 (2020)
https://doi.org/10.3389/fphar.2020.00435
https://www.frontiersin.org/journals/pharmacology/articles/10.3389/fphar.2020.00435/full
12)Robert S. Wilson et al., Neural reserve, neuronal density in the locus ceruleus, and cognitive decline., Neurology vol.80, pp.1202-1208 (2013)
https://doi.org/10.1212/WNL.0b013e3182897103
https://www.neurology.org/doi/abs/10.1212/WNL.0b013e3182897103
13)Flavio Pisani, Valerio Pisani, Francesca Arcangeli, Alice Harding and Sim K. Singhrao, Locus Coeruleus dysfunction and trigeminal mesencephalic nucleus degeneration: A cue for periodontal infection mediated damage in Alzheimer’s Disease? Int. J. Environ. Res. Public Health vol.20, no.2, pp.1007-1029 (2023)
https://doi.org/10.3390/ijerph20021007
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36673763/
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